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*** 欧 州 映 画 紀 行 ***
                 No.013
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「ここじゃない何処か」に行ってしまいたい、あなたのための映画案内。
週末は、ビデオ鑑賞でヨーロッパに逃避旅行しませんか?
フランス映画を中心に、おすすめの欧州映画をご紹介いたします。

★心にためる今週のマイレージ★
++ 時を超え、国境を越え、明日へ ++


作品はこちら
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タイトル:「永遠と一日」
製作:ギリシャ・フランス・イタリア/1998年
原題:Mia aioniotita kai mia mera (ラテン文字表記)
英語題:Eternity and a Day
監督・脚本:テオ・アンゲロプロス
出演:ブルーノ・ガンツ、アキレアス・スケヴィス、
   イザベル・ルノー
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■STORY
不治の病に冒され、明日入院しようと考えている詩人アレクサンドレ。
今度入院すればもう戻れないことを知っている。世間で過ごす最後の一日、と
決めたこの日に、多くを体験する彼を描く。

亡き妻の手紙を読み、仕事に没頭してばかりで気づいてやれなかった妻の思い
を知る。アルバニアからの難民の少年と知り合う。過去の追憶と、生命力にあ
ふれた少年との交流で、今にも消え入ろうとしている詩人の命の灯火は。

■COMMENT
ストーリー説明はあまり意味のないことかも知れない。
小説にストーリー説明があっても、詩にはストーリー説明がないように、詩的
な映画作品を無理にストーリーで説明するのはセンスがない。それでも、詩に
いつも物語られるモノがないかと言えばそうではないように、先が気になる物
語が、この作品にも存在している。

妻の遺した手紙を読み、はじめて、30年前のある日に、妻が自分に抱いていた
思いを知る。知らなかったことを後悔する彼だが、その日の出来事を少しずつ
鮮明に思い出していく。

現在と過去を、自在に往き来する映像が美しい。「ストーリー」としては説明
できないけれど、思えば私たちの物思いとはこんな感じではないか。出来事を
思い出し、その情景の中には、時を経た今の自分の目線で入っていく。そして
思い出は今の自分に多分に影響を与える。病気だったり、人生の重大事があっ
て考え事をするときならば、特に、だ。

病に冒された現在は、ぼそぼそと寒い冬。暗い色ばかりが目立つ。30年前の晩
夏の日は、空も海も青く、皆が笑い、明るい日差しに溢れている(ギリシャと
聞いて多くの人が思い浮かべるのはこっちの風景だろう)。
暗・明、対照的なコントラストが、最後には少しずつ溶け合って、ひょっとし
たら明日がないわけじゃない、と光ある映像で終わる。自分の内にあった過去
の思い出に、希望を与えられるのだ。

彼に希望を与えた存在はもう一人、アルバニア難民の少年だ。車の窓ふきで小
銭稼ぎをする不法入国の少年は、警察からも人買いからも追われる。自分の国
からも、家族を皆殺しにされて逃げてきた。
アレクサンドレは、少年を何度も国境まで連れて行こうとするが、少年はどう
しても帰ろうとしない。結局国へ帰すことを断念し、最後の夜を少年とともに
過ごすアレクサンドレ。彼のその選択は、どこにも居場所がない少年に共感を
抱いたから。

ギリシャでは知らぬ者がいないような大詩人は、難民の立場とはほど遠いよう
だ。しかし、自分の母親の介護も思うようにできず、妻には彼女の気持ちを理
解してあげられないままに先立たれ、ライフワークにした詩人の研究はすすま
ない。どこにも確固たる居場所がないように感じている。しかも病は、この世
から彼を閉めだそうとしている。居場所がない者同志、年も立場も超えて通じ
合えたのだ。

アンゲロプロスは難解だと言われる。眠たくて見てられるものじゃないと言う
人も少なからずいると思う。私も難しくないと言うつもりはないけれど、ここ
に描かれているのは私のことだ、と思ったら、たまらなく愛しい映画だ。

居場所のなさ、人にうまく気持ちを伝えられないもどかしさ、悪いのもいいの
も、全部ひっくるめて心にのしかかる思い出。私は、詩人でも難民でもギリシャ
人でも不治の病でも逃亡者でも、ない。そういう設定とか立場とか全部超えて、
ここには私のことが描かれている、と強く思う。
それは、私に都合良く曲解しているだけで、正しい見方じゃない、とも言える
かも知れないけれど、私にそう曲解させるだけの力があることは、間違いない。

■COLUMN
アレクサンドレがライフワークとする、19世紀の大詩人ソロモスのエピソード
が気に入った。(ソロモスは実在の詩人だが、この逸話が事実かどうかは知ら
ない)

イタリアで生まれ育ったギリシャ系の詩人が、故国の革命を知り、行って詩人
としての仕事をしなければ、と思う。しかし、ずっとイタリアにいた詩人は、
故国の言葉が分からない。だから、人々から、少しずつ言葉を買った。

グローバル化が進む今、逆に、ある狭い地域で話される小さな言語を保護する
流れが世界に目立つ。そんな小さな言語の保護の際に大切にされるのは、詩人
なのだそうだ。その言語で詩が書かれなければ、生きた言語とは言えないのだ
という。(参考:多和田葉子『エクソフォニー─母語の外へ出る旅』岩波書店

ともすれば<ムダ>の代名詞にもなりそうな詩が、人の根元を支える力を持っ
ていることがうれしい。ソロモスの行動は国を創る人々のために、何かしなく
てはいけない、という詩人ならではの直感だったのだろう。

大詩人アレクサンドレはソロモスに倣い、アルバニアの少年から気に入った言
葉を買う。どこにも居場所を持たない亡命者の言葉を記憶し、詩を編む。詩が
あってこそ言語が生きるように、詩が名もなき亡命者を生かすこともある。そ
うして共有した言葉に、消えかかった命が力づけられることも。

■追記
この原稿を書くにあたっては、2004年7月25日、テレビ朝日系列で放送された、
岸惠子氏とアンゲロプロス監督の対談を参考にしました。


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転載には許可が必要です。

編集・発行:あんどうちよ

Copyright(C)2004 Chiyo ANDO

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2004.9.13 原題と英語題を追加

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