一覧へ ←前へ →次へ 登録フォーム HOME

ネタバレありのつぶやきへ

=======================================================

*** 欧 州 映 画 紀 行 ***
                 No.021
=======================================================
「ここじゃない何処か」に行ってしまいたい、あなたのための映画案内。
週末は、ビデオ鑑賞でヨーロッパに逃避旅行しませんか?
フランス映画を中心に、おすすめの欧州映画をご紹介いたします。


★心にためる今週のマイレージ★
++ 別の世界へ向かっても、私はあなたの娘です ++

作品はこちら
----------------------------------------------------------------
タイトル:「ビヨンド・サイレンス」
製作:ドイツ/1996年
原題:Jenseits der Stille 英語題:Beyond Silence

監督・共同脚本:カロリーヌ・リンク (Caroline Link)
出演:シルヴィー・テステュー、タチアナ・トゥリーブ、
   ハウイー・シーゴ、エマニュエル・ラボリ
----------------------------------------------------------------
  ケータイ等に作品の情報を送る
■STORY
ろう者の両親をもつ少女、ララ。しっかり者の彼女は、両親の手話通訳をして
助けながら、幸せに暮らしていた。

あるクリスマス、叔母にプレゼントされたクラリネットに、ララは夢中になっ
た。まわりの人も、才能があると認めてくれる。
しかし、音を聞くことのできない父は、あまりいい顔をしない。

9年の歳月が経ち、18歳になったララは、音楽の道に進もうと決意するが、父
は猛反対。仲の良い父娘の関係に、亀裂が生まれてしまう。

■COMMENT
年にしては、少しませていて、言うことなすこと、しっかりしている。そして、
容姿もかわいらしい。そんな子どもが出てくる映画は、心が和む。

両親ともにろう者のため、電話に出たり、代わりにかけたり、テレビドラマの
同時通訳をしたり、幼い頃から両親をサポートしている。そのため少しませた
感じがするけれど、明るくて素直な子だ。
銀行との交渉にまで、通訳として随行する物怖じのなさ、学校の先生から小言
をもらったときには、ちょっとずつごまかして伝えてしまうユーモア。
子役の愛らしさが、まず印象に残る。

そこには負の側面もある。両親は親でありながら、どこか娘に頼り切ったとこ
ろがあって、両親の都合で学校を早退させることしばしば。特に父は、自分と
は相容れない世界だからと、ララがクラリネットを学ぶことも許してくれない。
大人になっても、両親をサポートする自分の役目から降りることができない。
親の許してくれる範囲から出ることができないのだ。

「ろう」の親と、音楽の才能を持つ子と言うと、特殊なことに見えるけれど、
親が子どもの世界を理解しないことはよくあること。親と一緒にいた世界から、
別の世界へ巣立っていくときに起こる摩擦は、皆の共通の問題だ。

父とぶつかり、迷い、悩むララを見ながら、私は「両親の面倒は十分見たから。
もう親のために生きないで、自分のために生きようよ。家なんか飛び出して、
ベルリンに行っちゃおう! そんな分からず屋で勝手な親なんか、放っとけー」
とやきもきしたものだ。

しかし、ララの選択は、自分の世界に進みながらも、決して親を捨てない、親
とは決裂しないことだ。ぶつかり、激しく争いながらも、なんとか自分の世界
を共有してもらおうとする。
なんだか浅はかな応援をしてしまったことを恥じた私だが、観た後はララの生
き方に、すがすがしい気持ちになれた。

地方からベルリンへやってきたララを、叔母が案内するシーンもあり。ベルリ
ンの風景も、小旅行のように楽しめる一作である。

■COLUMN
少女期と青年期に分かれている作品だが、少女期の終わりには、ララの妹・マ
リーが生まれる。青年期に移ったとき、マリーがちょうど、少女期の頃のララ
と同じくらいの年に成長している。

長女と次女の性格の違い(長女は真面目で慎重、次女は活発でおしゃべり、な
ど)、というのは、たまに取り上げられるけれど、ララとマリーは典型的な姉
妹と、私は見た。

ララは、幼い頃から両親をサポートしてきて(ほとんど「世話」に近い、と私
は思う)、しっかりしていて明るいけれど、どこか生真面目で不自由なところ
がある。両親も、ララがいるから、ララの時ほどマリーには頼らないせいもあっ
て、マリーは年相応に子どもらしく、天真爛漫な様子だ。

母の「ろう」を利用して、マリーが友だちとふざけて遊ぶシーンは象徴的。そ
んな遊びは、ララだったら、絶対にしないことだが、普通の子どもならやりそ
うなことだ。マリーをひどく叱るララに対し、話をきいて笑って許す母が対照
的で、幼い頃から両親を支えた生活が、ララをどこか「遊び」のない性格にし
てしまったように思う。

マリーが進路を考える年になったとき、きっとララほどは、親との関係では悩
まず、さっぱりと自分のやりたいことを選択していくのではないか、という気
がする。

私には兄弟姉妹がいなくて、「同じ親から生まれた他の人」に神秘的なものを
感じてしまう。長女でもあり、末っ子でもある私は、この姉妹の類型でいけば、
どっちかというと長女の方に親近感がわく。(親を手伝ったりは、全くしてな
いんですけどね)
変なところで生真面目で、気づくと人の都合を優先している。そんな性格を持
つ人が、まわりの犠牲を呼ばずに自分の進みたい道を選ぶ様子が、喜ばしかっ
た。

性格分析や、その類型化はあてはまらないことも多くて、好きではない人も多
いかもしれない。確かにくだらない類型化やきめつけも多いのだけれど、そう
いうことにあまり目くじらを立てないで、同じ「ろう」の親を持ったふたりの
性格の違いを、分析しながら観るのも、興味深い。


---------------

転載には許可が必要です。

編集・発行:あんどうちよ

Copyright(C)2004 Chiyo ANDO

---------------

ネタバレありのつぶやきへ


一覧へ ←前へ →次へ 登録フォーム

HOME