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*** 欧 州 映 画 紀 行 ***
                 No.029
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「ここじゃない何処か」に行ってしまいたい、あなたのための映画案内。
週末は、ビデオ鑑賞でヨーロッパに逃避旅行しませんか?
フランス映画を中心に、おすすめの欧州映画をご紹介いたします。

★心にためる今週のマイレージ★
++ 触れればピキリと折れそうな、若さと友情と女心 ++

作品はこちら
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タイトル:「天使が見た夢」
製作:フランス/1998年
原題:La Vie rêvée des anges 英語題:The Dreamlife of Angels

監督・共同脚本:エリック・ゾンカ(Erick Zonca)
出演:エロディー・ブシェーズ、ナターシャ・レニエ
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■STORY
バックパックの旅をして、北部の町リールにたどり着いたイザ。職を見つけた
工場でマリーと親しくなり、彼女のアパルトマンに転がり込む。

クールだけれどいつも不機嫌で、どことなく危ういマリーと、ふざけてばかり
なようで、案外しっかり者なイザ。
二人は急速に親しくなり、貧しくも楽しい共同生活となった。

しかし、マリーが恋に落ちたのをきっかけに、二人の関係は軋み始めて……

■COMMENT
前回の「ミナ」に続き、女の友情を描いたフランス映画。
性格の違う仲のよい二人という点では似ているけれど、「ミナ」ともっとも違
うのは、こっちの二人の方が、ずいぶん「とるに足らない」人生を生きている
こと。身も蓋もない言い方だけれど、「世間」を代弁するとそうなってしまう。

21歳の一時期を切り取ったものであるにしても、イザは、ふらふらと町を渡り
歩くバックパッカーで、マリーは親を嫌って家を出て、職を転々とし、事故で
意識不明となった母娘のアパルトマンで留守番をして暮らす。
生活手段は、日雇いバイトや、手作りカードをチャリティーとでっちあげて売
り歩くこと。

こうした主人公がいる場合、はじめの投げやりな人生から、しだいに成長して
いくとか、すったもんだのあげく幸せの片鱗をつかんでいく、なんていうのが
ありそうな話なんだけれど、この作品はそっちへはいかない。どこに進んでい
くかと言えば、主人公二人をはじめとする登場人物の内面へと、深く深く、進
んでいく。
なんにつけ反抗的なマリーだけれど、寂しさや弱い面を人一倍抱えているんだ
な、とか。
彼女らが「逆ナン」した男たち、ごろつきにしか見えないようなのだけど、案
外芯が通ってるんだな、とか。

はじめはふんぞりかえって「ふーん」と見ている。だけれど、一人ひとりの事
情というか(過去のことはあまり明かされない)、思い、性格などが少しずつ
少しずつ、判りはじめると、なんだかいても立ってもいられないような気持ち
になってくる。
この映画はそんな風に、心の中へ、深く深く進んでいく。
若い二人が、これからどうなるのかしら。とか、マリーが完全にプレイボーイ
に騙されちゃってるのには、イザと一緒に「うー、だめだよ、行くなー」と身
を乗り出してやきもきしたり。

そんな風に二人を見守る気持ちになるのは、私がけっこうオバチャンになった
証拠かも知れない。二人に近い年齢の人なら、もっと、どっちかに感情移入し
て肩入れして見るのかな。

二人の関係はしだいに狂っていって、女の子同士の気持ちのぶつかり合いは、
一度はじまってしまうと、なかなかとめられない。どこかでどうにかなってい
れば、一生の友にもなれるかもしれないのに。でも、端で見ていた私にも、じゃ
あ、どうすればよかったのか、答えが見えない。
一人ひとり、弱いところや悪いところはあるけれど、それはみんなそんなもの
で、誰かが決定的に悪い訳じゃない。だから、切ない。けれど、だからこそそ
の切なさが美しい。

この作品では実は、もう一人、重要な登場人物がいる。家主の娘、サンドリー
ヌである。彼女の部屋を寝室にしていたイザが、ふとサンドリーヌの日記を見
つけて、読んでしまう。親近感を覚えてイザは、意識不明のサンドリーヌを度々
見舞うようになる。イザの中では、一方的だけれど友情が生まれる。イザが通
うことで絶望と見られたサンドリーヌに回復が訪れるのか。もう一つのペアの
友情も、有り難く美しい。

誰も「とるに足らない」人生なんて生きていないのだ。

■COLUMN
ヨーロッパの映画ではよく、部屋を人に貸すとか、いない間留守番を頼むとか、
別荘を自由に使っていいとか、「部屋は天下の回りもの」みたいな様子を目に
する。
この映画でのマリーの住まいもまさにそうで、住人が事故で重体になってしまっ
たから、留守番としてほとんど自分の家のように住んでいる。身の回りの品も
置きっぱなし。イザが日記を読んでしまうのもこういう事情からだ。

イザは日記を読んで見舞いに行くけれど、マリーは「知らない人だし意識不明
だし」と本来の住人に何の興味も示さない。口論になったとき一度、イザはマ
リーの無関心を責めたが、「知り合いの知り合いの子ども」なんかに貸してし
まうこともあるような社会では、マリーの感覚は責められるようなことでもな
いのだろう。

一時的に家を離れ人を住まわせる場合も、家具はそのままにしているケースを
よく見かける。「バカンス中、使っていいよ」なんてときは、バカンスのため
に持ちだした物以外はそのままだ。日本人の感覚だと、家具や身の回りのもの
をそのままにして、家族以外の人に貸すって抵抗あるよなあ。
今自分の部屋見渡しても、絶対無理! 物がごった返してるし、狭いし。住宅
事情の違いも大きいとは思うけれど、できればヨーロッパ並みに、人と物を共
有できる精神を持てたら、活動範囲が広がるのかしらー、と考えたりもする。

でも自分に染みついているはずの「日本人感覚」というのも、案外相対的なも
の。タンクトップなど、ノースリーブを着たとき、日本では絶対にブラジャー
の線を出したりしないけど(恥ずかしいことだもの)、フランスに遊びに行っ
たときには、気にせず出しているな、私は。だってフランスの女の子はみんな
平気で出して着こなしてるし、町で見かける日本人(とおぼしき)女性も、平
気で出してる。気楽でサイコー!と勢いづいて帰ってきても、日本では恥ずか
しくてできない。不思議なものだ。

そういう感覚は、個人に生理的にへばりついているものではなくて、その時い
る社会によってずいぶん簡単に入れ替わるものなのだ。
日本のこの家じゃなくて、ヨーロッパで暮らしているのなら、「日本に帰って
る間、部屋、自由に使って」。なんの躊躇もなく言えるかもしれないな。

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編集・発行:あんどうちよ

Copyright(C)2004 Chiyo ANDO

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