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*** 欧 州 映 画 紀 行 ***
                 No.033
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「ここじゃない何処か」に行ってしまいたい、あなたのための映画案内。
週末は、ビデオ鑑賞でヨーロッパに逃避旅行しませんか?
フランス映画を中心に、おすすめの欧州映画をご紹介いたします。

★心にためる今週のマイレージ★
++ 目に耳に頭に、贅沢な楽しみを ++

作品はこちら
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タイトル:「ディーバ」
製作:フランス/1981年
原題:Diva

監督・共同脚本:ジャン=ジャック・ベネックス
             (Jean-Jacques Beineix)
出演:フレデリック・アンドレイ、リシャール・ボーランジェ、
   ウィルヘルメニア・ウィギンズ・フェルナンデス,
   チュイ・アン・ルウ
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■STORY
郵便配達夫のジュールは、音楽マニア。オペラ歌手シンシア・ホーキンスの大
ファンである。
ある日彼は、コンサートに行き、楽屋で花束を渡した後、つい出来心で彼女の
舞台衣装を盗んでしまう。

災いは災いを呼ぶ。その頃、組織から追われる娼婦が、マフィアの黒幕の情報
を吹き込んだカセットテープを、通りがかったジュールの郵便鞄にこっそり隠
した。
そんなわけで、マフィアにも警察にも後を追われるようになったジュールだが、
当人はテープのことを知らず、衣装のせいで追われていると思いこむ。

さらに、警察でもマフィアでもない、第三の追っ手も現れて、窮地に陥った
ジュールの行く末は……

■COMMENT
サスペンスにハラハラし、インテリアから衣装まで凝りに凝った細部にうっと
りし、芸術論に発想を刺激される。贅沢な映画だと思う。

シンシア・ホーキンスを演ずるのは、アフリカ系のエキゾチックな雰囲気をも
つオペラ歌手、ウィルヘルメニア・ウィギンズ・フェルナンデス。本物のアリ
アも聴ける映画、などと説明しては下世話だが、この歌姫の声の美しさと繊細
さを備えた存在感が、やはりこの作品を支えている。
もちろん「アリアが聴ける」などとダシに使ったのではないことは、歌姫が添
え物ではなくて物語の核心にしっかり入り込んでいることを見ればたやすくわ
かる。

映像全体はもちろんのこと、そこここに散りばめられた小物たちが目を楽しま
せてくれる。倉庫を改造したジュールの住まい、謎の友人ゴロディッシュのサ
イケな部屋をはじめとして、ジュールを追うチンピラや娼婦にまで、衣装、イ
ンテリアをないがしろにしない。そしてそれは、端役の一人ひとりに、きちん
とキャラクターを与えていることにもなっている。何度繰り返し見ても、服や
小物や何気ない台詞やしぐさ、いたるところに新しい発見があって楽しい。

「波を止める男」ゴロディッシュは、冷静さと不思議さとを兼ね備える魅力あ
る人物。
音楽の趣味もインテリアの趣味も、意外にある行動力も、どれも、少し真似し
てみようかと(全部取り入れたらりっぱな変な人になります)、思わされるが、
彼の「バゲットにバターを塗る禅の境地」は、本当に試してみてもいいと思う。
縦に二つに割ってバターを塗っただけのものが、なんだか途方もなくおいしそ
うなものに見えて。
クリスマスのディナーに、かっこよくバゲットをかっさばいてやってみれば、
これで意中の女性を射止められる人もいるかもしれない(気持ち悪がられても
責任持ちません)。

音を忘れたかのような夜明けのパリを散歩する歌姫とジュール。刑事に追われ
たジュールが、地下鉄の中までバイクでつっこんでいって、縦横無尽に逃げ回
る姿。ちょっと変わったパリ観光もお楽しみ。

■COLUMN
歌姫シンシアは、録音を絶対に許さないことで有名、という設定だ。自分と聴
衆が出会うコンサートが唯一の音楽の場、というのが彼女の主張である。
現実の世界では、逆に、完璧な演奏しか聞かせたくないと、レコーディングの
みに活動を絞ったグレン・グールドが有名だが、芸術家の主張として「いかに
もありそうだ」と思うのは、録音を拒否する方だろう。録音されたものは本物
の自分の音楽ではないと、苦々しく思いながら、流れには逆らえず活動してい
る音楽家はいくらでもいるに違いない。

彼女に心酔するがあまりにジュールは、そんなシンシアの歌をこっそり録音し
てきてしまう。ただ自分が楽しみたいため。悪事を企んだわけではないのだが、
結果的にジュールは、衣装と、声と、二つのものを彼女から盗んでしまう。

自分の楽しみのためだけにシンシアの歌を録音したのだと言うジュールに向か
い、ゴロディッシュが言う台詞にはゾクリときた。
「罪のない楽しみはない」。
んー、その通り。かっこいい台詞だ。

何の後悔もなく、何のうしろめたさもない芸術なんて、つまらない。それは例
えば文科省に推奨されたり、学校の先生に勧められたりすると、すっかり嫌に
なるように(なりませんか?皆さんは)、ちょっとした罪を感じられないもの
には、楽しみもついてはこない。

やましさとうしろめたさと喜びがないまぜになっているから、芸術を味わうこ
とは楽しみへと変わる。本来「生」でしか存在し得なかった声を記録するやま
しさ、ありもしない物語をあるかのように見せつけ、フィルムに収める罪、単
なる絵の具の塗り重ねに「何か」のイメージを思い起こさせるうしろめたさ。

孕んだはずの罪の数々を自覚していることが、ものを作る者の責務だ。作品で
人を感動させることが100%善だと信じてやまない人間は、決して偉大な作り手
にはならない。やましさと自信のギリギリのところでものを作り出すのが芸術
家であって、受け取る側も発信する側も、そのやましさを共有する共犯者となっ
てはじめて作品(映画、音楽、小説、美術作品、その他なんでも)は楽しめる。


映画を見ることは楽しい。
数々の理由で、またはただ何となく、私は映画を見る。それはとても楽しい。
泣きたいから。笑いたいから。感情移入したいから。知らない町並みを見たい
から。夢物語にハッピーな気分にしてもらいたいから。
欲望は尽きず、もっともっとと新しい作品をねだり、飽きたらずいくつも見る。
気に入った作品を、気に入ったシーンを何度も見る。自宅に据え付けたビデオ
で、何度も繰り返し、好きに巻き戻し早送りして、好きに見る。
見たものについて語り、それを誰かに聞いてもらう。
それは楽しく、そしてそれは少しやましい。

そのやましさを乗り越えるには、やましさを共有する誰かを見つけることしか
ない。同じものを見てくれる人、投げつけた言葉を受け取ってくれる人、そん
な誰かがいるから私は、やましくおこがましい楽しみに今日もいそしむ。


■おしらせ
年内の発行は本日が最後です。
次回は、1月13日(木)に発行を予定しています。

実は今回は「年末スペシャル!新旧エンジェルスマイル対決」と題して
1952年版、2003年版、二つの「花咲ける騎士道」(Fanfan la tulip)
を比較することを企画していました。
しかしそのつもりで、2003年版の方を見てみたら、
うーん、酷評するほどではないのですが(それならそれで話にはなります)
なんだかこう、中途半端にしっくりこなくて、やめにしました。

もしこの企画に興味がある方がいらっしゃったら、
掲示板かメールで一言「やって」と書いてください。
どなたかいらっしゃったら「新春特別企画!」として
取り上げてみたいと思います。

では皆さま、よいお年をお迎えください!

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転載には許可が必要です。
リンクは自由です。

編集・発行:あんどうちよ

Copyright(C)2004 Chiyo ANDO

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