一覧へ ←前へ →次へ 登録フォーム HOME


============================================================

*** 欧 州 映 画 紀 行 ***
                 No.037
============================================================

「ここじゃない何処か」に行ってしまいたい、あなたのための映画案内。
週末は、ビデオ鑑賞でヨーロッパに逃避旅行しませんか?
フランス映画を中心に、おすすめの欧州映画をご紹介いたします。

★心にためる今週のマイレージ★
++ 10歳半の頃、私は何をしていただろう ++

作品はこちら
----------------------------------------------------------------------
タイトル:「ぼくセザール 10歳半 1m39cm」
製作:フランス/2003年
原題:Moi César, 10 ans 1/2, 1m39 英語題:I, Cesar

監督・共同脚本:リシャール・ベリ(Richard Berry)
出演:ジュール・シトリュク、ジョセフィーヌ・ベリ、マボ・クヤテ
----------------------------------------------------------------------
  ケータイ等に作品の情報を送る

■STORY
少年の日常の冒険と、日常を飛び出した大冒険をユーモラスに描く。
甘いものに目がなく、少し太めなのがコンプレックスの男の子、セザールは 10歳半。
子ども扱いにはプライドが傷つくけれど、大人にはなれない微妙なお年頃だ。

学校一の美女サラに恋するけれど、容姿に自信がなく、うまくおしゃべりする
こともできない。親友のモルガンは、ハンサムで勉強ができて話題も豊富だ。
サラもなんだかモルガンに惹かれている様子。
そんな折、父親を知らないモルガンが、父を捜しにロンドンへ行くことを決意
する。英語の話せるサラが一緒に行ってあげるという。二人を一緒に行かせた
くなくて、セザールも彼らに同行することに。

子ども3人だけでの、ロンドンの大冒険がはじまる。

■COMMENT
ナレーションからカメラの高さまで、徹底的にセザールの一人称で描かれてい
るところが楽しい。
1m39cmのセザール目線の画面は、いつもと少し違った世界を見せ、かつて子ど
もだった頃に味わったことのある感覚を呼び覚ましてくれる。大人に見下ろさ
れるというのはずいぶん威圧的な感覚を伴うものである。

セザールのナレーションによって、彼の気持ちが説明されるのもいい。子ども
の頃に、大人に理解されなくて心の中でつぶやいていたことが思い出される。
終始セザールの目からみた世界を描くから、観客の側には、彼の父が何の仕事
をしているのか、最後まではっきりしないし、サラの気持ちもセザールが受け
取る範囲でしかわからない。
上のストーリー説明も、本当は「ぼくセザール……」と始めて雰囲気を出した
かったところだが、それでは「説明」にならないからやめた。

大人になってしまうと、子どもがワクワクしたりドキドキしたりすることに鈍
感になるもので、子どもの冒険に感情移入しようとしてもとっさには難しいも
のだ。その難しさを、この徹底した一人称が払拭してくれている。
日常のずっと小さなことからはじまる、例えば「ぼくちゃん」と子ども扱いさ
れたり、込み入った話になると自室に追いやられたり、といった理不尽な体験
を一通り見せられて、観る者は子どもの目線を容易に持つことができるのだ。

そして日常から飛び出して、親に内緒でロンドンへ行く。その大冒険にも10歳
半の気持ちで参加することができる。別に子どもじゃなくても、外国へ行くの
はじゅうぶん冒険ごとなのだが。
右も左もわからず不安になること、友情と恋愛の板挟みになること、誰かと力
を合わせて何かをやりとげられること、ロンドンでたっぷり体験をして小さく
てふとっちょのセザールは少し大人になって戻ってくる。

パリとロンドンを結ぶ列車・ユーロスターと、二都の風景に旅情をくすぐられ
る旅映画でもある。ロンドンの場面では、数々のポップな音楽をBGMに、三人が
街のあちこちを歩き、走り回るシーンが多い。英国の映画を見ているとそんな
場面に出くわすことがよくあるから、まるで映画自体がイギリスの青春映画の
ようだった。そんな意味でも二国・二都を味わう絶好の映画だ。

セザールの勘違いや、バカみたいに見える大人達に笑いながら、最後には、勇
気を持って何かにチャレンジしてみようかと思わせてくれる一品。

■COLUMN
三人の生活を通して、フランスの様々な家庭をのぞけることも楽しい経験であ
る。
セザールは両親と三人で暮らし、母は二人目を妊娠中。サラは両親が離婚して
イギリス人の母と暮らしているが、週末は父と過ごす。モルガンは看護師の母
と二人暮らしで、父親については姓とイギリス人の記者ということしか知らな
い。
監督のベリは現代社会の家庭の典型を三つ並べたつもりだと言う。

それぞれ幸せがあって、それぞれが問題や悩みを抱えている。この中の誰が幸
せか、などと比較することには意味がない。私が興味をもったのは、様々な家
庭がふつうに存在している社会である。もちろん日本にだって様々な家庭はあ
るけれど、少なくともこの三例を現代の典型、と言わない。言わないってこと
は、父を知らない子どもや、離婚のため父母の間を往き来する子どもは、完全
なるマイノリティであるということだ。

完璧な環境というものはなく、どんな環境が子どもにいいのか、は一概に言え
ない。ただ、子どもの環境が多種であることは、もっと必要だと思う。人には
それぞれ違う状況があって、それを互いに尊重し合うもの、という発想はいく
つになっても大切だ。

少子化を憂う声をよく聞くが、子どもの数を増やしたいなら、子どもが生きる
環境をもっと多様に認めたらいいのではないか、と思う。
モルガンの母のように一人で子どもを産み育てる人が、精神的な意味でも、制
度の面でも受け入れられたら、生を受ける子も増えるかもしれない。他国の事
例をそのまま日本にあてはめることは浅はかだけれど、少子化が止まった社会
を参考にしてみるのもよいだろう。
本気で少子化を何とかしたいなら、<標準的>な家庭像を固定してしまわない
で、多様な子育て環境を積極的に作っていくこともひとつの方法だと思う。

---------------
感想・お問い合わせはお気軽に

転載には許可が必要です。
リンクは自由です。

編集・発行:あんどうちよ

Copyright(C)2004-2005 Chiyo ANDO

---------------

一覧へ ←前へ →次へ 登録フォーム

HOME