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*** 欧 州 映 画 紀 行 ***
                 No.041
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「ここじゃない何処か」に行ってしまいたい、あなたのための映画案内。
週末は、ビデオ鑑賞でヨーロッパに逃避旅行しませんか?
フランス映画を中心に、おすすめの欧州映画をご紹介いたします。

★心にためる今週のマイレージ★
++ 障害があっても、そして障害があるからこそ ++

作品はこちら
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タイトル:「マイ・レフトフット」
製作:アイルランド・イギリス/1989年
原題:My Left Foot

監督・共同脚本:ジム・シェリダン(Jim Sheridan)
出演:ダニエル・デイ=ルイス、ブレンダ・フリッカー、
   フィオナ・ショウ、ルース・マッケイブ
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■STORY
先天性の脳性まひのため左足がかろうじて動くだけの身体で、画家・作家となっ
た実在の人物クリスティ・ブラウンの半生を描く。

ある日、チャリティパーティに出席したクリスティは、パーティに登場するま
での間、控室で待機していた。
こっそり酒を飲んだり、煙草をねだったり、この日担当看護師となったメアリー
を呆れさせる。自伝をメアリーに読むよう勧めるクリスティ。

メアリーが読み進むのにあわせて、クリスティの半生が映像で語られていく。

■COMMENT
見どころがたくさんある作品だ。

子どもの頃のクリスティは、思考も身体も全てがまひしていると考えられてい
て、きちんと教育も受けられなかった。その中で、どうやって外部との意志疎
通方法を学んでいくのか、その過程を追いかけていくのはダイナミックな体験
だ。左足で文字を書き絵を描くことは、その結果だけを見てしまうと「すごい
ね」で終わってしまいそうなことでもあるが、能力を身につける過程を見せら
れれば、並大抵の努力ではないとあらためて認識させられる。

その一方で誰にでもあるような青年期の失恋には親近感を覚えるし、同年代の
子ども達の遊ぶ姿には郷愁を誘われる人もいるだろう。

しゃべる訓練をする前のクリスティの言葉を、母だけは理解できたというエピ
ソードに見られるような、母の愛情に涙腺がゆるむこともあり。母が無心の愛
情をそそげば、父はがんこな煉瓦職人。22人の子どもをもうけ、そのうち13人
が成人したというブラウン家は、貧しくもいたわり合う大家族ものとしても楽
しい。

舞台となるのは40年代、50年代のダブリン。通りでサッカーに興じる子ども達
や、毎夜のごとく父が出かけるパブの風景は異国の日常を見る意味で面白い。
これが今のダブリンと同じではないだろうが、その街が持つ特有の空気を知る
のには十分な映像の数々である。「パブ」は彼の地ならではだな、と思わされ
るが、仕事を終えた男達が、飲み屋で祝杯をあげつつくだを巻く、と見れば我
が父にも似ている。妙なシンパシーを感じてしまった。

撮影中、実際に車椅子で生活をし、左足だけを使っていたというダニエル・デ
イ=ルイスの演技もすばらしい。

障害のある人の生活に興味のある人ならそれをテーマに、恋愛中の人なら青春
映画として、家族愛に弱い人は「母は強し」を堪能して。見る人の興味と心理
状態で、様々な見方ができる佳作である。

■COLUMN
先日とある場所で、この映画を薦める原稿を書いた。それは就職を控えた薬学
部の学生の方々(つまり薬剤師の卵さんたち)に向けたもので、自然と、介護
や障害を持った人との接し方を考えるきっかけとなるという趣旨となった。文
字数も限られているし、そういう一面しか書けないのだ。

自分で書いておいて無責任な話でもあるが、でもそれはやっぱりこの映画の一
側面でしかなくて、むしろ、そういうところを強調しすぎると、作り手やクリ
スティ自身の本望ではないのかな、という気がして、このメルマガでとりあげ
ることにした。今回この作品を取り上げたのにはそんな理由がある。よそで取
り上げたものを流用して、作品セレクトをさぼろうという魂胆があった……、
わけではない。

障害を持っている人も、障害者である以前に一人の人間だし、自立することも
できる。そういう視点は今はごく普通で、受け入れられやすい。この映画が作
られた1989年には、そろそろ普通の人の目にもそれが当たり前になってきた頃
だろう。
そういう考え方は大切だし、酒や煙草を楽しんでメアリーを呆れさせるクリス
ティは、障害者である以前に魅力のある人だ。たぶん、多くのところでそうい
う視点からこの映画の魅力が語られたことだろう。実際に私も、障害者がひと
りの人間として生きることの大切さを知る映画だと書いた。

でも果たしてそれだけだったら、この映画はいい作品になったか。
否。私は、人と比べて身体に自由のきかない人ならではの孤独と不安が見られ
るからこそ、この作品はいいのだと思う。でもだからといって「障害を持つ人
を一人の人間として描く」という前提をすっとばしてその孤独の部分だけを書
いてしまったら、誤解を与えることは間違いない。

一つの絵がウサギに見えたりアヒルに見えたりする「だまし絵」のごとく、も
のごとは複数の方面から見られるけれど、同時に複数の視点を持つことは難し
い。
1本の映画を語ることは、たまたまそこに書いた側面を強調して、たまたま書
かなかったり強調しなかったことを切り捨てる作業でもある。字数を多くとれ
ないとか、テーマが散漫になるとか、いろんな都合で、それはみんなにとって
の日常茶飯事になっている。

この文章を読んでくれた人の中で、実際にその映画を見る人と見ない人では、
圧倒的に見ない人のが多いと思う。「これは私の見方だけどね」とか「ある側
面から見れば」なんて、せこい言い訳をしながら私は、私の書いたものを読ん
だ人が作品を見ないままに、もし見たら持つはずだった印象と別の印象を抱い
てしまわないことを祈っている。

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編集・発行:あんどうちよ

Copyright(C)2004-2005 Chiyo ANDO

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