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欧 州 映 画 紀 行
                 No.130      07.05.17配信
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「ここじゃない何処か」に行ってしまいたい、あなたのための映画案内。
週末は、ビデオ鑑賞でヨーロッパに逃避旅行しませんか?
フランス映画を中心に、おすすめの欧州映画をご紹介いたします。

★ 希望と不安とあれやこれや。次々出てきて迷う年頃 ★

作品はこちら
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タイトル:『ロシアン・ドールズ』
製作:フランス・イギリス/2005年
原題:Les poupées russes 英語題:The Russian Dolls

監督・脚本:セドリック・クラピッシュ(Cédric Klapisch)
出演: ロマン・デュリス、ケリー・ライリー、オドレイ・トトゥ 、
   セシル・ドゥ・フランス、ケヴィン・ビショップ
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■STORY&COMMENT
バルセロナのアパートに、多国籍の学生が集まって暮らした『スパニッシュ・
アパートメント』
から5年。登場人物のその後を描く。今回も主役は、ロマン・
デュリス演ずるグザヴィエ。バルセロナでの仲間イギリス女性のウェンディと、
その弟を中心にした物語となった。

パリでフリーライターとなったグザヴィエは、本当に書きたいものを書けずに
小さな記事で日銭を稼ぐ毎日を送っている。恋愛でも、本当に愛せる人を探し
ていつまでもふらふらとさまよう30歳だ。そんな折り、仏英共同製作のドラマ
の脚本の話が舞い込み、ウェンディと再会、共同執筆をすることになる。

これだけ観ても楽しめるとは思うけれど、前作『スパニッシュ・アパートメン
ト』を観てからの方が断然面白い。特に、この人が5年後こうなったんだ、と
キャラクターを知っているからこその楽しみは、前のを観てなきゃわからない。

題名のロシアン・ドールズとは、ロシア土産でおなじみの、人形の中から一回
り小さい人形が次々と出てくる「マトリョーシカ」のこと。グザヴィエが、ま
だ出てくるか、まだ素敵な人に巡り会えるのではないかと、理想の恋人を探す
様子を喩える。
そして、5年前には平気で人種差別をしていた弟くんウィリアムが、なんとロ
シア人バレリーナと結婚してロシアに渡るというエピソードもあって、文字通
りの「ロシアン・ドールズ」の話でもある。

フランス映画祭でこの作品を観たとき、隣の席の女の子が、上映終了と同時に、
「サイッテーの男!」とつぶやいていたのが印象に残っている。「え、ええぇー、
これ観てそういう感想持つんだ」と隣で聞こえてしまった私は驚いたけれど、
確かに、自分の恋人がグザヴィエのようだったら、「サイッテー」とののしり
たくもなるかもしれない。

グザヴィエのいつまでも相手を一人に決められないところや、好みの女にいち
いちぐらつくところやら、私は、情けないけれどかわいいな、と思うし、その
しょーもないところは、普遍的な人間のダメさを見るようで、おかしかった。

勝手な想像だけれど(そのうえ大きなお世話だ)、隣の席の彼女は、かつて浮
気な男にひどい目に会わされたんじゃないかな。そんな風に、自分の経験や、
自分の周りにいる人や環境で、感じ方が変わる物語だと思う。いっしょに観た
人が意外な感想を持っていて、後で語り合ったら面白いかもしれない。
じゃ、私は、自らのシチュエーションや経験によって何か意外な感想を持たな
いのか? って言ったら、それは下のCOLUMN欄を!

■COLUMN
作家志望のグザヴィエだが、たやすく成功するわけもなく、とりあえず、町の
ネタを取材したり、いろんな人にインタビューしたり、小さな記事を書いて生
活費を稼いでいる。

私も職業「フリーライター」であるから、この場当たり的な処世術や、仕事を
とるために、やれますよーとホラを吹いてきたりすることが、妙に生々しく響
く。もちろん、グザヴィエにはドラマの脚本の話がくるほど。私と同列には並
べられないけれど、フリーでものを書く人間の状況というのに共感し、かつ、
身につまされてちょっと痛かった。

グザヴィエの祖父が「一時的にやってることが時に長く続いてしまうよ」と警
告することもそう。私ってこのままでいいのかしらん、と迷う。
そして、今の社会状況というのも、考えさせられるポイントだ。

グローバリゼーションによって、グザヴィエは準備していた脚本を英語にする
ことを強いられる。ここ日本だって他人事じゃない。今後、アジアもヨーロッ
パのように共同体を形成する可能性もあるし、そうなったら、プロジェクトは
まず共通言語(たいていは英語)ありきで、進むことはあり得る。

そんなことを考えたら、日本語の使い手は何も日本人だけではないことにも思
い当たった。そして、私はこっちの方が切実だと思う。

最近、フリーペーパーや、雑誌、サイトなど、割と小さめのメディアで、「よ
くこのおかしな文章でOK出してるなー」と思う機会が増えた。ちょっと心配に
なるけれど、出す側も読む側も、それで困ってないみたいだから、構わないの
だろう。
例えば、クーポンのサービス内容がわかればいい、など、意味が最低限伝われ
ばよい仕事には、日本語を使えること自体にモチベーションを持って、安くで
も書きたがる留学生のバイトがどんどん増えるかもしれない。製造業のように
より人件費の安いところに仕事が流れる現象が、ライティングの世界でも起こ
るだろう。
(誤解なきよう言い添えておくと、様々な国の人が日本語の使い手になること
自体は、歓迎すべきコトと私は思う。)

そのとき私はちゃんと私の仕事をしているんだろうか……、と考え出せば、反
省と自己嫌悪と不安のループにはまる。
たくさん笑った楽しい映画だったけれど、心の奥では、ぐっさりと身につまさ
れて、疲れた。不思議な観後感だ。


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編集・発行:あんどうちよ

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