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欧 州 映 画 紀 行
                 No.133   07.06.07配信
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「ここじゃない何処か」に行ってしまいたい、あなたのための映画案内。
週末は、ビデオ鑑賞でヨーロッパに逃避旅行しませんか?
フランス映画を中心に、おすすめの欧州映画をご紹介いたします。

★ 決して引き留められない者へ ★

作品はこちら
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タイトル:『ぼくを葬る』(「ぼくをおくる」と読みます)
製作:フランス/2005年
原題:Le temps qui reste 英語題:Time to Leave

監督・脚本:フランソワ・オゾン(François Ozon)
出演:メルヴィル・プポー、ジャンヌ・モロー、
   ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ、ダニエル・デュヴァル、
   マリー・リヴィエール、クリスチャン・センゲワルト
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■STORY&COMMENT
フォトグラファーとして活躍するロマンは、ある日、がんで余命3ヶ月だと宣
告される。受けたとしても助かる見込みは5%以下だという化学療法を拒否し、
恋人にはもう愛していないと冷たく言い放ち、両親にも姉にも病気のことは話
さず、ロマンは最後の日々を過ごす。互いに自分に似ていると認める祖母にだ
け、真実を伝える。

祖母をのぞいて、愛する者にも仕事仲間にも、何も告げずにこの世を去ろうと
するロマンに徹底的に寄り添う視点だ。
カメラは彼の行動につぶさに寄り添い、死に近づくごとに孤独を深めていく、
ーーしかしそれは、自分から少しずつ何かに解き放れたように、自分の純度を
高めるかのような孤独だー ロマンの姿を映す。

彼の本当の気持ちが明かされたり、心情が語られたりはしない。
だから、ロマンの気持ちが具体的に何と定かにはならない。しかしその行動、
姿から、どうしようもない痛さが伝わる。死に行く者に釘付けになるのは辛い
ことだが、ラストを迎える頃には、不思議に穏やかに彼の姿を見届けることが
できる。心に染みる、という言い回しがよく合う作品だ。

主演のメルヴィル・プポーは、徹底的なトレーニングで筋肉質の身体を作り上
げたという。そこからまた徹底的な食事制限で肉をそぎ落として病人の身体を
表現した。その肉体そのものも「鑑賞」に値する。

■COLUMN
2月のはじめ、花屋で桜の鉢植えが目にとまった。つぼみをつけていて、暖か
くなったら花がいっぱいに咲くという。面白そうだからと買ってみた。毎日毎
日、もう膨らんだかなー、と家族にあきれられながら観察を続け、自然の力は
偉大なもの。3月に次々と薄桃色の花を咲かせた、それは八重桜であった。

すっかり家での花見を楽しんだ頃、桜は葉っぱを出し始めた。後先考えずに買っ
てしまったから、当たり前のことに気づいていなかった。そうか。切り花と違
う。鉢植えの木だから花のあとも生き続けているのだ。

恥ずかしながら、ガーデニングとか園芸とかフェミニンな趣味とはまったく無
縁だった私は、植木鉢なるものを買うのもはじめてだったような気がする。目
の前で生き続ける生きものをそのまま放っておけなくて、土やら移植ごてやら、
慣れない買い物をたんまりしてきた。園芸をはじめたって訳じゃない、うっか
り猫を拾っちゃったに近い。

次々と芽吹く桜は見ていて気持ちがよかった。伸びる茎はしだいに太くなり、
枝ってのはこうしてできていくのかと目を細めた。もしも来年も花をつけたら
嬉しいね。宵っ張りの私が、水やりのためにちょっとだけ早起きになった。

5月の暖かなある日、1枚の葉っぱがへにょりと垂れ下がり、裏にはびっしり
とムシがついていた。例によって知識のない私は、大騒ぎして本を繰り、グー
グルであらゆるキーワードを入れまくり、効きそうな殺虫剤を購入してきた。

その後からだ。旺盛だった新芽の成長が止まり、大きくなった葉は少しずつ色
を失ってゆき、ぽとりと落ちてゆく。水の吸いも目に見えて悪い。
「薬害だろうか」「ムシが中まで食いつくしているのだろうか」ムシさえ消え
たら元気になるはずだった桜の変貌に、私はただただ、おろおろとするばかり
だった。

症状から調べてみると、どうも、びっしりとくっついていたアブラムシが媒介
したウイルス病なる「不治の病」らしい。花や野菜ならば、これに感染した株
はすぐに取り除かなくては他の株もだめになるという、恐ろしい病らしい。

ムシの駆除が遅かったせいだろうか、本当にもう手の施し用はないのだろうか。
後悔や疑問は尽きず、病名らしきものがわかっても、私はやっぱりただただお
ろおろと鉢にかがむばかりだ。
街路樹を見れば、こんなに葉っぱをムシに食われて、茶色くなっているところ
だってあるのに、木は死んでない、なんでうちの桜だけ……、と八つ当たりな
気分に陥る始末。

たかが植木に、なんでそんなに、まるでペットのように入れ込んだか。その答
えもわからなければ、この取り憑かれたおろおろへの対処もわからない。ただ
今は、2日に1枚くらい、まだらに色を失って落ちてゆく葉を一つひとつ拾っ
て、死にゆくものを静かに見送るばかりだ。

死に行くものを引き留めることはできない。少しずつ死んで行く様子に胸をし
めつけられても、生の世界に留め置かれて、ただ見送ることしかできない。

私はあと何日か、おろおろと涙を流しながら、落ちた葉っぱを拾い続けるだろ
う。夜には、すっかり元気になった桜の夢を見、朝にベランダで、やはり病に
冒されている姿を見てため息をついて。
ひょっとしてと希望をいだきながらも、いつか最後の葉を拾い、引き留めるこ
とはできないものだと悟るんだろう、と思いながら、やっぱりいまだ私は、お
ろおろとじたばたしている。


今、2度目に観た『ぼくを葬る』は、私にとって、ロマンに感情移入する映画
ではなく、見送る者の映画だった。


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編集・発行:あんどうちよ

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