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欧 州 映 画 紀 行
                 No.135   07.06.21配信
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「ここじゃない何処か」に行ってしまいたい、あなたのための映画案内。
週末は、ビデオ鑑賞でヨーロッパに逃避旅行しませんか?
フランス映画を中心に、おすすめの欧州映画をご紹介いたします。

★ 自由奔放な目線の先のリアリティ ★

作品はこちら
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タイトル:『ブロンドの恋』
製作:チェコスロヴァキア/1965年
原題:Lásky jedné plavovlásky 英語題:The Loves of a Blonde

監督:ミロス・フォアマン(Milos Forman)
出演:ハナ・ブレチューバー、ウラジミール・プホルト、
   ウラジミール・メンシーク
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■STORY&COMMENT
後に『アマデウス』『カッコーの巣の上で』などを撮り、アメリカで成功した
ミロス・フォアマン監督の、チェコ時代のモノクロ作品。
2000人の女工が製靴工場で働く田舎町。寮で夜な夜な同室の友人に恋の話を聞
かせるアンドゥラも、その女工たちのひとりだ。
工場では、男性がいないために都会へ出て行く女工が後を絶たない。これを憂
慮した工場長は、軍に陳情して兵士たちを駐屯させ、「出会い」の場を作ろう
そするのだが……。

第一印象は、自由な作品だなー。
アンドゥラという主人公を中心にしているが、視点がアンドゥラに定まらず、
いろいろなところで寄り道描写をする。

女工の流出を憂う工場の人間しかり、やってきた兵士同士の「女をひっかける
ための」相談や、結婚指輪を隠そうとする兵士が指輪を落っことして、ワラワ
ラ、の小さなギャグしかり。アンドゥラの恋のお話とは別に、そこかしこで、
「ありゃ、これが話の中心になるの?」と思わせるけっこう詳しい描写がある。

だから、映画の半分くらいまで「どんな話になるのか」が定まらない。まるで
行き当たりばったりに、自由にカメラを向けたようにも思えるのだ。
これをいいなあ、ととるか、しっくりこなくて落ち着かない、ととるか、それ
は好みの領域。
私は「どうなるんだろう」という好奇心で引っ張られて、アンドゥラの恋の顛
末を見届けて楽しかった。

だが、最後まで観て、物語やシーンを反芻していて思い当たった。アンドゥラ
の恋の相手となる人も、ほとんど言葉を交わさずに去っていく人も、時に同じ
だけの時間をかけて描くのは、そこにいる人間を観察するリアリティでもある。
だから単純に「自由」と呼ぶのは脳天気な見方かもしれない。

リアリティという視点から考えてみると、その意図はどこにあるんだろう、と
思うほど自分勝手な発言や、理不尽な文句を平気で口にする登場人物がいたり、
うまくかみ合わないまま誰にも聞いてもらえないでいる台詞がそこかしこで宙
に浮いたりする。
現実の世や、人の関わりって、こんなかな、と思う。(それにしても、チェコ
スロヴァキアの人々はずいぶん、好き邦題に言いたいことを言うなあ、と思う
けれど)
視点が早いうちに定まらずにいた物語も、最後には、アンドゥラの内面にぐぐっ
と寄っていく。ただ、そのように最後までつきあっても、悲しい物語なのか、
可笑しくもさわやかな青春物語なのか、はたまた果てしなく他愛ない物語なの
か、すっぱりと形容できない。それもリアリティということかな、と思う。

■COLUMN
町に男がいないから、と軍にかけ合って兵士を駐屯させるって、さすが昔の社
会主義国はすごいなあ、とカルチャーショックを受けた気分になっていたら、
そういえばここ日本も同じようなことやってるんだっけ、と思い出した。

ちょっと前に、少子化対策として、自治体主導でお見合いや男女の出会いパー
ティを開催するなんてことが話題になった。「子どもを産むか産まないかは個
人の選択にゆだねるべきこと」とか、「結婚するしない、子どもを持つ持たな
いなどといった多様な生き方があり、これらを尊重する」とか、厚労省ではい
ろいろ注釈をつけるけれど、中高生のうちから子どもに接して「親になるため
の出会い、ふれあい」を体験することを促す。(「少子化対策プラスワン」よ
り)
ライフスタイルは人それぞれとは言っても、「こうあるべき」とか「大多数は
こうあって欲しい」とかその時代の要求というのがあって、国家や自治体は世
の中を「あるべき姿」に近づけようと、様々に介入を試みる。

少子化は晩婚化や未婚化が原因のひとつだから、若者が結婚できるように出会
いの場を提供しよう、という発想は多くの人、特に地方の役所の人の心をつか
むようだ。
その施策が少子化を本当に食い止めるものなのか(かけたお金に見合った成果
のある公共事業なのか)、はなはだ疑問であるけれど、「出会い」たがってい
る人は多いし、真面目におつきあいしようって人を応援するってところに悪意
はないから、表だって反対もできないのかもしれない。

情報を探していたら、福井県の対策がなかなか面白かった。

「結婚を望む若者に新しい出会いの機会を提供するため、未婚の男女が出会い
交流するイベントについて市町の取組みを支援しています」
さらに「結婚相談員による迷惑ありがた縁結び 」として、県の結婚相談員が
相談日を開設、家庭訪問などもして「地域の仲人役として積極的に活動して」
いるそうだ。

「迷惑ありがた縁結び」!
なお、たまたま検索にヒットして、面白かったから引用したまでで、福井県に
は何の悪感情もありません。この制度を利用して幸せに結婚なさった方の生活
を否定するものつもりもありません。念のため。

この映画でも、陳情してやっと来てもらった兵士は、既婚だったり、冴えない
中年男だったり、なかなかうまいマッチングがない。「ありがた迷惑」の順序
を変えても、上から押しつけることは、どこかに無理が出る。上から力を加え
て変えられるものと変えられないものがある。または、変えたらまずいものが
ある。
出会いの場所を提供するっていうのが、自治体のすることなのか、言い換えれ
ば、税金と公共施設を使える自治体だからこそできる行動なのか、もう一度考
え直した方がいいんじゃないかなあ。

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編集・発行:あんどうちよ

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