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欧 州 映 画 紀 行
                 No.158   07.12.21配信
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「ここじゃない何処か」に行ってしまいたい、あなたのための映画案内。
週末は、ビデオ鑑賞でヨーロッパに逃避旅行しませんか?
フランス映画を中心に、おすすめの欧州映画をご紹介いたします。

★ 胸をしめつける孤独に、ほのかでも確かなあかりを ★

作品はこちら
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タイトル:『街のあかり』
製作:フィンランド・ドイツ・フランス/2006年
原題:Laitakaupungin valot 英語題:Lights in the Dusk

監督・脚本:アキ・カウリスマキ(Aki Kaurismäki)
出演:ヤンネ・フーティアイネン、マリア・ヤンヴェンヘルミ、
   マリア・ヘイスカネン、イルッカ・コイヴラ、カティ・オウティネン
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■STORY&COMMENT
ヘルシンキを舞台に、孤独な男の冷え冷えとした絶望と、かすかだが確かな希
望を描く。
警備員のコイスティネンは、恋人も友人も家族もなく孤独に暮らしていた。愛
想がなく不器用で同僚からも敬遠されている。そんなある日、マフィアが彼に
目をつけ、色仕掛けでひっかける作戦に出る。はじめてできた恋人がよもやマ
フィアの情婦とは思わず、彼はだまされ宝石強盗の濡れ衣を着せられてしまう。

チャップリンの『街の灯』に目くばせを送りながら、都会で孤独に生きる男を、
優しい目で描き出す。
コイスティネンは、何かが悪くて嫌われているのではない。人付き合いがうま
くなく、要領もよくない。結果、親しい人もできず孤独のまん中にいる。それ
にストレスを溜めて、こき使われるくらいなら起業して奴らを見返してやる、
と行きつけのソーセージ屋でグチるけれど、所詮は負け犬の遠吠えだ。

そのソーセージ屋の女性が彼をずっと見守っていて、ラストの希望の光につな
がっていくのだが、多くは語るまい。

カウリスマキ監督の独特の色遣いが、街の中も部屋の中も、刑務所の塀でさえ、
絵本のような美しい雰囲気を作る。赤ってこんなに闇の中できれいに見えるん
だと、思い知らされること数回。青い色がこんなに深く落ち着くのかとの発見
はうれしく、工事のクレーンに色彩があるのかと驚愕する。
美しく彩り豊かなのに、うらぶれた感、やりきれなさ、絶望やなげやりはしっ
かり表現されるのだ。
世界をこんな風に捉えられ、かつそれを表現するなんて、他の誰にもできない
だろうと、美術館で絵を観るように、この映画を私は観た。

優秀でもなく、要領も悪く、はじめての恋ではだまされるだけ、でも最後まで
「恋人」を売ったりしないコイスティネン。彼を優しさで包んで描いていると
観客が感じられるのは、最後に用意された希望だけではなく、全編を通じた、
優しい世界の捉え方があるからこそだと思う。

■COLUMN
近頃、「せつない」という言葉が不思議な使われ方をしているように思う。
一昔前なら「トホホな感じ」とでもいうようなこと。ちょっと期待はずれで、
苦笑せざるを得ないような、ガッカリ感を含んだ、でもだからってオオゴトじゃ
ないような事象に対して「せつない」と呼ぶ例が増えている。

ほんのさっきも、イングランドのサッカー・プレミアリーグの中継で、劣勢に
たたされている側が、せっかくボールをとって攻撃態勢に入ったのに、味方の
走り込みがないばっかりに、ゴールに向かって大きく放り込むしかなかったと
き「こういう攻撃しかできないのが、せつないですね」と、実況されていた。

私がそういう「せつない」をはじめて聞いた(気づいた)のは、2006年、去年
の初夏ごろ。今使っているパソコンを買おうかどうしようか迷っていて、電気
屋で説明を受けていたときだ。
私のパソコンは同容量のメモリを2枚差すと性能をより発揮するしくみで、は
じめに256MBが2枚入っている。メモリを増やすなら、同容量2枚が必要だか
ら、最初から入っている2枚ともをムダにして、新たに512MBを2枚買い足す
必要があった。
そのことを指して店員さんは「メモリがせつない設定になってましてね」と言っ
た。意味するところはすぐに理解できたけれど、へー、最近の若い人は変わっ
た言葉の使い方をするんだなあ、と驚いた(私だってある程度は若いぞ、その
つもり、だぞ)。

言葉は変化していくものだし、「せつない」をちょっと違う使い方をしたからっ
てケシカランと言うつもりはない。
でも、ひょっとして、この「トホホ感」を「せつない」と言ってしまうのは、
皆が胸が締めつけられるような「せつなさ」そのものから逃げているからじゃ
ないかと勘ぐると、いいのかなー、と思ってしまう。
真正面から悲しみにじっと耐えたり、孤独に苦しめられたり、そういうのって
重いから、照れ隠しにも軽ーく、軽ーく振る舞う結果が、「せつない」という
重い言葉に軽い意味をつけ加えることだったとしたら、すべてを茶化して忘れ
ようとするところに進んでいるのではないだろうか。

「トホホ感」を表す「せつない」が、いつか「せつない」のもともと持ってい
た意味を凌駕するかもしれない。そのとき、孤独や悲しみに胸が締めつけられ
たら、私たちは何と表現するのだろう。それともそのとき、私たちはもう「せ
つなくなる」ことなんてないのか。

悲しいことなんて起こらない方がいいに決まってる。でもせつない存在である
人間には、いつだって悲しみや孤独がついてくる。
もっとみんな、真正面から、せつなくなったっていいんじゃない?

この『街のあかり』は元祖「せつない」気持ちを、たっぷりと堪能できる映画。
この先、世界がどうなろうとも、決して忘れたらいけない感情をたっぷり届け
てくれる作品だ。


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