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欧 州 映 画 紀 行
                 No.175   08.06.12配信
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「ここじゃない何処か」に行ってしまいたい、あなたのための映画案内。
週末は、ビデオ鑑賞でヨーロッパに逃避旅行しませんか?
フランス映画を中心に、おすすめの欧州映画をご紹介いたします。

★ 私の人生は、自由を持った私が作っているのか ★

作品はこちら
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タイトル:『女と男のいる舗道』
製作:フランス/1962年
原題:Vivre sa vie 英語題:My Life to Live

監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard)
出演:アンナ・カリーナ、サディ・レボ、ブリス・パラン、
   アンドレ・S・ラバルト
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■STORY&COMMENT
若くして結婚、子どもをもうけたが離婚したナナ。女優となる夢を持っていた
が、レコード店のバイトでは自活できない。一度行きずりの男と寝て金を得た
のをきっかけに、プロの娼婦の道へと入っていく。

ストーリーはいたってシンプル。女優になりたいと言いながら、結局堕ちてい
くしか道がない、悲しい話だ。
ただ、その伝え方が、シンプルなのかシンプルじゃないのかわからない。たぶ
ん、シンプルか否かという問題設定がおかしいということになるんだろうが。

12章に分かれた構成は、時系列には並んでいるのだけれど、何となく時間の経
過を感じさせず、ナナの日常をスケッチし、ランダムに捉えたような印象が残
る。
その12のスケッチは、各章はじめに、例えば「10 舗道 ある男 幸福は楽し
くない」という具合に、おおまかな内容まで並んでいるから、観る方としては、
何が起こるかというのは大事な問題ではなくなくなる。
だから、主演のアンナ・カリーナの表情やしぐさ、警句的セリフが、やたらと
頭に残る。その印象の残り方は、目で観たもの聞いたものが残っていると思え
ば、シンプルともいえるし、ストーリーとは別の細かいところが残ると捉えれ
ば、ややこしいともいえる。

コケティッシュなボブの黒髪が印象的なナナ=アンナ・カリーナは、時折、演
技をしていない素の状態かと思わせる表情を見せる。それがまた抜群に観客に
強い印象を残す。
この撮影の頃は、アンナ・カリーナと最も親密な状態だったといわれるゴダー
ルが、演技しているときもしていないときも、愛する女をひたすら映し続けた
のか(それを後にアンナ・カリーナが怒ったという話もあるらしい)、考えは
じめると、ここに描かれたのはナナの人生なのか、アンナの女優という仕事を
している人生がどこかに同時に示されているのか、ああ、これもどんどんシン
プルじゃなくなってくる。

ゴダールのモノクロ映画は、部屋に流しておくとそれだけでなんとなくひとつ
のインテリアになるところも魅力だと思う。
部屋に流して、ああでもない、こうでもない、と考えているだけで、なんとな
くインテリになった気になれる効果もある。

いやいや、皮肉じゃなく。いろいろ解釈して観るのって、楽しい。
その解釈のひとつを、COLUMN欄で↓↓。

■COLUMN
去年の暮れ辺りから、我が家はちょっとした伊坂幸太郎ブームだ。ふだんあま
り小説なんぞ読まない夫が、なぜだか気に入って買い込んできて、全作品そろ
えたって具合ではまだ全然ないけれど、買っておいてあるものは私も読むので、
集中していろいろ読んだ。
そんなブームの一環で読んだ『死神の精度』。ここには、このゴダール映画で
「哲学者」が語る「微妙な嘘は誤りに近い」というセリフの引用が何度か出て
きていた。ちょうど読み終わって頭も温かかった頃に、他のDVDを見つけ出そ
うと、DVDの山をあさっていたら、ぽっとりと目の前にこれ『女と男のいる舗
道』を録画したディスクが落ちてきた。録画したことも忘れていたのだけれど、
これは、今観て、そして書けっていうことだな。と、今週のメルマガの題材と
なった。

今回は『死神の精度』がきっかけで観てみたわけだけれど、この小説から連想
すれば、ああ確かに、悲しい運命が待ち受けるナナは、1週間、死神が張り付
いていたのかもしれないな、と、伊坂幸太郎の「好きな映画だから引用した」
以上のものを感じ取った。(小説を読んでいない人には何のこっちゃですね)

そして、この映画を最初に観たのはずいぶん前だと思うけれど、そのときには
(おそらく)、思ってもみなかった捉え方を私はした。

ナナの悲しさは、「自由なんだから、すべてに責任があると思う。右を向くの
も、不幸になるのも、タバコを吸うのも、私の責任。人生は素敵だと思えばい
い」と言う本人の自覚とは逆に、ちっとも自由になんかなれていなかったこと
のように思う。
自由を求め女優になりたいと思い、自分の責任で自分の人生を決めていると信
じていながら、実は、流されて堕ちていくシステムにきれいにはまっているだ
けだった、そしてナナは最後までそのことに気づいていない。このことがいち
ばん、やりきれなくて悲しいことなんじゃないかと、今は思う。

前出『死神の精度』の、死ぬ人も死神自身も、見渡すことのできない大きなシ
ステムのなかに組み込まれている世界観に似ている。

ゴダール、に限らず、そして映画に限らずどんな作品も、いろんな見方がある、
けれど、まあこんなゴダール作品は特に、いろーんな見方ができる。そのうち
の一つの見方・考え方だ。
私も、たまたま今じゃなければそんな風に考えなかったかもしれない。
でも、今は「システムに組み込まれる」見方が気に入っている。
『女と男のいる舗道』二回目以降の人、初めての人、そんな面から観てみるの
も、おすすめですよ。

■INFORMATION
・DVD
女と男のいる舗道
価格:¥ 2,250(定価:¥ 2,500)
http://www.amazon.co.jp/dp/B000F4LD9S/ref=nosim/?tag=oushueiga-22

・参考図書
死神の精度 (文春文庫 (い70-1))伊坂 幸太郎
価格:¥ 550(定価:¥ 550)
http://www.amazon.co.jp/dp/4167745011/ref=nosim/?tag=oushueiga-22

・バタバタやワタワタはずいぶんと収まりました。
が、かわりにクタクタです。
そんな訳で、来週か再来週か、どこかで、観る時間と書く時間があってもお休
みしようかと画策中です。
メルマガがこなかったら、ああ、あの人クタクタだ、と思っていてください。

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感想・問い合わせはお気軽に。

編集・発行:あんどうちよ

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