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欧 州 映 画 紀 行
                 No.226   10.01.14配信
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2010年、最初の配信です。
ここのところ映画を観たりメルマガを書いたりする時間がとれず、
不定期配信となってしまいごめんなさい。
いつもいつも「週刊」を目指してはいるのです。
今年も気長におつき合い下されば! よろしくお願いします。

「ここじゃない何処か」に行ってしまいたい、あなたのための映画案内。
週末は、ビデオ鑑賞でヨーロッパに逃避旅行しませんか?
フランス映画を中心に、おすすめの欧州映画をご紹介いたします。

★憎悪のち 許しと再生 ★

作品はこちら
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タイトル:『そして、私たちは愛に帰る』
製作:ドイツ・トルコ・イタリア/2007年
原題:Auf der anderen Seite 英語題:The Edge of Heaven

監督・脚本:ファティ・アキン(Fatih Akin)
出演:バーキ・ダヴラク、トゥンジェル・クルティズ、
   ヌルギュル・イェシルチャイ、ハンナ・シグラ、ヌルセル・キョセ、
   パトリシア・ジオクロースカ
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■STORY&COMMENT
ドイツ・ブレーメン。トルコ系移民のアリは、引退した後、トルコからの出稼
ぎ娼婦イェテルを囲って暮らしている。ある日、口論になってアリはイェテル
を突き飛ばした拍子に殺してしまう。
娘に仕送りを続けている話を聞いていたアリの息子ネジャットは、娘のアイテ
ンを探しにトルコへ発つ。
ドイツとトルコ、3組の親子をめぐる、死と憎悪と許しの物語。

取り上げようかどうしようか迷った。正直にいうとそんなに気に入った作品で
はない。
この監督はあり得ないようなメロドラマ的設定や偶然の出会いやすれ違いで物
語を盛り上げる作風で(いくつかしか観ていないので、そうじゃないものもあ
るのかもしれない)、まあ、今回も、びっくりするような偶然とすれ違いがいっ
ぱいだったけれど、メロドラマっぽい、と文句をつけてもそこはしかたがない。

むしろ、メロドラマっぽい仕立てを、それっぽい格調あるものにしようとして
いるところが、ちょっと中途半端に思えてしまったのだ。
自らもドイツに生まれたトルコ系移民2世である監督の、思い入れが詰まりすぎ
てしまったのかな、という気もする。

しかし、憎んだ人間を許し、再生する人と再生する関係の物語には、素直に涙
したことも事実。素直に涙した自分の心の動きってどんなもんだろう、そして、
なぜ世の人がこの物語に心を動かすのかな、なんてことを考えてみようと思っ
た。

殺人者となった父を憎むネジャットは、その贖罪としてトルコでアイテンを探
す。同時にトルコ系だがずっとドイツで過ごしてきた自分のルーツを見つめる
旅でもある。アイテンを見つけるまでと、生活の拠点もほぼ移し、彼には、ド
イツとトルコとの間で引き裂かれた自分の存在を「何とかする」気持ちもあっ
たのだろう。

ネタバレになってしまうのであまり詳しいことは言えないけれど、アイテンを
追ってトルコに向かうドイツ人はもう一人いて、この人にはアイテンを許せな
い訳がある。
人が死に、すれ違いがあり、関係やら家族やら、友人関係やら、いろいろぶっ
壊れたあと、許しと平安は訪れる。再生の場面そのものは描かれないけれど、
すべて壊れたあとに、ゆっくりと生まれ変わり、関係を再構築し、人生の新し
い場面が始まっていく、それをじゅうぶんに予感させる終盤は、カタルシスと
いう言葉がふさわしいだろう。

もちろん再生することと許しがあることそのものへの感動はある。しかしどう
も私の涙はそれだけじゃない。
誰かと許し合うとき、腹をくくって話そうとするとき、人は本音をぶつけて、
心の底からの気持ちを伝え、相手は心の底からそれを受け止める。たぶん、私
が涙してしまうのは、その様子が美しいからだ。そして、誰かにそんなふうに
ぶつかりたいと思う。ディープな人との関係を恋しいと思う故の涙だったんじゃ
ないか、そう自分では考えた。
あくまでも、<私の場合>。世の人の場合までは、結局、考え及ばずだった。

■COLUMN
ここ何年か、たぶん今世紀に入って少ししてから、グローバルにつながる世界
の物語、そして怒りや恨みを鎮め、運命を受け入れる物語が目立つように思う。
これは単なるイメージ、印象なので、具体的にこういう作品がそうと指摘でき
なくて申し訳ないのだけれども。(もうちょっと時間があったら、探して具体
的に挙げるのだけど……ごめんなさい。)
おそらく、ワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んだテロからはじまる、
全世界を包んだ憎悪と報復の連鎖が、背景にあるのだと思う。

憎悪の連鎖は何も生み出さないし、憎み続けることをやめ、許す物語は心にひ
びく。こんな時代のなか、何かの可能性を信じさせてくれる。
私も、世界で起きていることも、個人と個人のあいだに起きていることも、最
終的に許し許されるところへ向かえば理想だと思う。
物語には理想を見せてほしい。救いを用意してほしい。

ただ、そういう物語が偏在してしまうのも、なんか違うんじゃないかと思う。
なぜなら、悲しいことに、許しはそんなに偏在していないからだ。
理想が現実になることは難しいからこそ、物語に人は理想を託す。だけれど物
語が描いて見せることで、人を励ますことができるのは理想だけじゃない。
とんでもなくみっともないことや、救いのない悲しさがあって、じたばたのの
たうちまわって、何も解決できなくて、そのまま憎しみや怠惰や恨み辛みが生
活にとけ込んでいくこともある。
そういう「負」を描くことは、憎む感情自体が間違っているわけじゃないと、
「負」の感情に苦しむ人を励ますことができるはずだ。

最後に許しと平安が訪れて、涙して終わるのもよいけれど、そんなことは受け
入れられないと、もっともっと抗い続ける物語があってもいいと思う。
だって、憎み続けることは悲しいけれど、憎むことも精一杯やって、どこかで
認めなければ絶対に許しも平安も訪れない。最終的な寛容にばかりスポットを
あてていると、どこかで無理が出る気がするんだな。人を救うはずの物語が、
「許せよ」と強制する圧力になったり。

だから、憎しみや恨みや、運命なんて受け入れてやらないぜと抗することにス
ポットをあてる物語が、もうちょっとあってもいいと思う。バランスとして。
辛い、だろうけれど、そんな物語を受け止めるのは。


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