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「女はみんな生きている」

No.012 本誌発行日 2004年7月29日  本誌バックナンバーへ

(04.10.10 のつぶやき)

「ネタバレ」とは関係ないんだけれど、「アイロン掛け」の地位というのは日本とフランスではずいぶん違うものなんだろうか。
エレーヌがいなくなって、ポールはあらゆる場面で困っているわけだが、
中でもよほど大変だったのだな、と思うのは、アイロン掛けがうまくいかないことだ。
アイロンの置き場所も分からないらしいし、どうにもならないみたいだ。
アイロン掛けは大変で大切な仕事。時間もかかるし難しいし、できればやりたくない。
だけれど、日本だったら、ふだん家事を担っている妻が突然いなくなった時、
困るのは料理とか掃除とかで、アイロン掛けではないだろう。

だって、シャツはクリーニングに出せばいい。

多少の出費はするが、いちばん最初にクリアされる問題だ。
アイロン掛けは大変だから、妻がいてもいなくても、シャツはクリーニングに出すっておうちも多いでしょ。
「クリーニングに出す」さえ思いつけない夫もいて、
「奥さんになくてシャツがしわしわ」という事態は、現実にはあるかもしれないが、
「アイロン掛け」が、妻がいなくて大変な様子の「象徴」として描かれることは、日本ではないと思う。

フランスに限らず、「ベニスで恋して」というイタリア映画を見ていたら
、突然家を空けた妻のせいで、夫がシャツにアイロンが掛からない、とそればかり怒るシーンがあった(ちょっと記憶があやふや)。
イギリス映画「人生は、時々晴れ」では、低所得者層の妻が、
近所の人のアイロン掛けを請け負って、小銭を稼いでいた。
「女はみんな生きている」のパンフレットでは、映画との関連を意識してだろうが、
コリーヌ・セロー監督(女性)が、パートナーとの家事分担について、
「自分のことは自分で、アイロンも自分のものだけに掛ける」と語っている。

確かパトリス・ジュリアン(フランス外務省の人として来日、日仏学院の校長などを務めた後、レストランやカフェを経営、
今はこんな感じらしい→http://www.patricejulien.com/)だと思ったが、
「身のまわりのことは何でも自分でやる」ことを説明するのに、筆頭に挙げていた例が「アイロン掛け」だった。

アイロン掛けを自分でやってくれる夫はそりゃありがたいが、日本で男性が「アイロン掛けを自分でする」というと、
休日には好きな靴磨きをゆっくりする、みたいな感じで、趣味やストレス発散の話をされているような印象を、まず持つんじゃないかな。
「アイロン掛けをする」って言っても、それを聞いた相手は家事全般なんでもやる人、と解釈しないと思う。

私が映画を通して観察したところ、日本とヨーロッパでは、家事における「アイロン掛け」の重さが全然違うみたいだ。
その違いが何によるものかは知らないが、そんな小さな生活の違いが見えるのも、映画のいいところ。

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