「ビヨンド・サイレンス」
No.021 本誌発行日 2004年9月30日 本誌バックナンバーへ
(04.10.10 のつぶやき)
「ろう」の親を持った子供を「CODA」(Children of Deaf Adults)と呼ぶのだそうだ。
日本でも「コーダ」の呼び名は定着しつつあって、たくさんの「コーダ」と呼ばれる人々が、この映画に共感したという。
私には未知の世界である「コーダ」を垣間見られたのも興味深かった。
でも、この映画の「テーマ」というのなら、
本誌でも書いたように、「親子の葛藤」という、より普遍的なものだと思う。
その葛藤をうまく描いて、主人公の清々しい成長を見せてくれた映画だが、一つ、不満点。
母親の影がやけに薄くないかなぁ?
途中、自転車の事故で亡くなってしまったところでは、
途中で死んじゃうキャラだから、最初からあまり詳しく描かなかったのかな、と解釈しかけた。
だが、母親も「ろう」で、音楽を共有できないことは同じはずで、親子の葛藤は母との間にも起きておかしくない。
葛藤もそんなになさそうで、かといって味方になってくれる、と言うほどでもなし。
なんでかなー、と納得いかない、というかよく分からない。
娘は父親のものじゃない、て素敵なせりふを言えるお母さんなら、夫をもっと説得することもできたんじゃないだろうか。
コンサートのチケットをプレゼントするほどだから、間に入ることもできたんじゃないだろうか?
ララが、ファザコンというか、男の肉親に弱い家系と描いているのは、
何となく分かるけれど(彼女の叔母さんは、父親や兄のことばかり気にしている、と元夫に言われるし)、
母親との関係をもう少し描いてくれてもいいのになあ、と。
自転車の事故は、ララが父親に「事故は私のせいだって言いたいんでしょ」と叫ばせるための小道具であるかのように、どーも、影が薄い〜。
(耳の影響で平衡感覚のない母に幼いララが、「他のお母さんは自転車に乗れるのに」とせがんだことがあるから)
母の死後も、なんだか、みんな元気だ。
多少長くなってもいいから、なんで母は、父と娘のあいだに入れなかったのか、母のパーソナリティはどんなだったのか、
もうちょっと描いてほしかったなー。
フランスのろう女優さんの演技もいいのだし!
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