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欧 州 映 画 紀 行
                 No.123   07.03.01配信
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「ここじゃない何処か」に行ってしまいたい、あなたのための映画案内。
週末は、ビデオ鑑賞でヨーロッパに逃避旅行しませんか?
フランス映画を中心に、おすすめの欧州映画をご紹介いたします。

★ 誰にも近しい心情が、豪華な装置に味付けされて ★
作品はこちら
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タイトル:『映画のようには愛せない』
製作:イタリア・ドイツ/2004年
原題:La vita che vorrei 英語題:The Life I Want

監督・共同脚本:ジュゼッペ・ピッチョーニ (Giuseppe Piccioni)
出演: ルイジ・ロ・カーショ 、サンドラ・チェッカレッリ 、
   ガラテア・ライツィ、ファビオ・カミリ
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■STORY&COMMENT
人気俳優のステファノは、映画の仕事に入るところ。相手役が新人女優と聞い
て戸惑う。しかし、「経験したことしか演じられない」と役柄に異常なまでに
感情移入するラウラに、俳優としても、男としてもしだいに惹かれてゆく。
撮影に入った映画は19世紀の貴族恋愛ドラマ。役柄の恋愛と、実生活の恋愛が
時にパラレルに、時に相反して進行して……

俳優やエージェント、映画撮影の現場という華やかな世界、映画のストーリー
と実人生が交わる、というけっこう大がかりな装置がクローズアップされる割
に、誤解を恐れずに言えば、恋愛ストーリーそのものはこぢんまりとした作品
だった。

悪く言っているわけではなくて、登場人物の性格やそれぞれの状況が、とても
近しいのだ。「ベテラン人気俳優」であるステファノは、わがままな嫉妬をす
る、けっこう小さなヤツで、ラウラも天才肌の女優かと思えば、朝起きてどう
しても現場に行けなかったりする不安定な神経の持ち主である。

劇中劇では、ステファノ演ずるフェデリコが、ラウラ演ずるエレオノーラに不
倫の恋をする。どうしようもなく惹かれてしまう出会い、危うくなる関係、つ
れなくなる頃、嫉妬する妻役を演ずるのがステファノの古い女友達と、実際の
二人の恋と、少しずつ重ね合わさるのが面白い。
撮影現場が頻繁に出てくるところから、映画作りのルポのようになっていると
ころも映画好きには楽しい。

ただ私はそういうところを、この作品の骨子として推すよりは作品のスパイス
として享受するくらいにしたい。

ステファノの嫉妬は、恋愛上のものを超えて、ラウラが役者として地位を得て
いくことにも及んでいく。二人の恋愛も、「大人の」と言うよりは、どちらか
といえば「若い」、誰もが体験したような、どうしようもなく揺れる心と、みっ
ともない心のブレがいっぱい。
そんな誰にでもあるような心の動きを素直に捉えたところをしっかり観る方が
いいと思う。役者同士の華やかな恋愛、と思いきや、普通だね、と普通に感情
移入できるのが魅力だ。

■COLUMN
突然ですが、皆さんはDVDを何で観ますか?

私の場合、DVDプレイヤーをつなげたテレビ(4:3、25インチ)で観るのが普通。
でも家族が使っていてテレビがあいていないときや、寝る前にベッドでひっそ
り観たいときには、ポータブルのプレイヤー(7インチくらい?)を使う。
パソコンを使うこともある。ポータブルプレイヤーより画面は大きくて迫力が
ある。だが、パソコンではどうしても、メールソフトを起ち上げっぱなしにし
てしまったり、観ていて何か疑問に思ったことが出たりしたときにネットで調
べちゃったりして、どうも集中できない。そんなわけで、テレビで観るか、ポー
タブルプレイヤーで観るかのどちらか、である。

最近、テレビ画面で観たときと、ポータブルの画面で観たときと、微妙に印象
が違うような気がしてきた。
一度劇場などで観た作品を、もう一度DVDで観るときはそういうことは感じな
い。その作品を初めて観たときに、そんな気がする。前半と後半で分けて観る
ような場合を除けば、同じ作品を二通りに「初めて観る」ことはできないから、
正確に比較はできない。

テレビ画面の場合は、映画館の疑似体験というか、前のスクリーンで映画が上
映されている感じ、普通だ。しかしポータブルの場合、上映されているという
より、どうもその作品が自分の生活の中に「すごく入り込んでいる」感じがす
るのだ。両の手を使えば、手のひらに乗る大きさに、本を読むように、じっと
見入る。ポータブルで観ることは、近視の私には、ふとんに半分入ってメガネ
なしで観られるという便利さもある。だから、ある程度近づいて、見入る。

そうすると、極めてプライベートなところに、物語が入り込んでくる気がして、
どこか作品に対してわがままになる。自分の気に入るような結末じゃないと納
得いかないとか。本筋よりも、自分に立場の近い人に肩入れしたくなるとか。

今回の作品を、映画業界とか、劇中劇の錯綜とかいった装置よりも、どこにで
もいるちょっとだめな人の普通の恋愛の方に比重を置いて観たのは、ひょっと
すると、私がベッドでポータブルプレイヤーを使ってこの作品を観たからかも
しれない。

DVDは、いろんな方法でどこででも観られるようになった。そのことが、いい
のか悪いのかは今の私にはわからない。ただ、どうやって観るかで、どうも印
象がちょっと違ってくるみたい。面白いな、と。今はそれだけである。

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編集・発行:あんどうちよ

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