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*** 欧 州 映 画 紀 行 ***
                 No.016
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「ここじゃない何処か」に行ってしまいたい、あなたのための映画案内。
週末は、ビデオ鑑賞でヨーロッパに逃避旅行しませんか?
フランス映画を中心に、おすすめの欧州映画をご紹介いたします。

★心にためる今週のマイレージ★
++ ほんとうに怖いのは ++

作品はこちら
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タイトル:「カリガリ博士」
製作:ドイツ/1919年
原題:Das Kabinett des Doktor Caligari
英語題:The Cabinet of Dr. Caligari
監督:ロベルト・ヴィーネ
脚本:カール・マイヤー、ハンス・ヤノヴィッツ
美術:ヘルマン・ヴァルム、ヴァルター・ライマン、
   ヴァルター・レーリッヒ
出演:ヴェルナー・クラウス、コンラート・ファイト、
   フリードリッヒ・フェーエル
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■STORY
すべての恐怖映画の原点になったといわれるサイレント作品。

北ドイツ、ホルステンヴァルという町に、メリーゴーランドや見世物をともなっ
た、移動市がやってきた。その中に、カリガリ博士なる人物が催す夢遊病者の
見世物があった。見世物の許可をもらうため役所を訪れたカリガリ博士を邪険
に扱った役人が、謎の死を遂げる。
しかし、住民たちはまだ何も気にせず、祭りの日々を楽しむのであった。

この町に住むフランシスとアランも、興味本位でカリガリ博士の見世物小屋へ
と出かけてみた。カリガリ博士の声に合わせて、棺の中から、ゆっくりと歩み
をはじめる夢遊病チェザーレ。博士は、この「この夢遊病者は未来を知ってい
る」という。興奮したアランは、自分の寿命を尋ねてみる。すると、チェザー
レの口からは「長くはない、夜明けまでだ」との言葉が。

■COMMENT
第一次世界大戦後、20世紀の前半、人々の興味が急速に「精神」に向かった時
期だった。フロイトの精神分析が広く知られるようになり、現在に至るまで、
多重人格や、マッドサイエンティストなどの偏執気質は、小説や映画で多く取
り上げられる題材だ。

そしてこの頃、自分の精神、特に、不安や恐怖、葛藤などを作品に表す「表現
主義」がドイツの芸術家たちの間でもてはやされた。この作品も、その影響を
大きく受けて、背景のセットを描く画家たちは表現主義のグループに属すアー
ティストだ。

そんな映画史的な説明よりも、「表現主義」がこの作品にどう働いているか、
それは見ればすぐに分かる。
舞台の背景のようなセットは、遠近感が完全に狂い、ドア、壁、道、どれも形
がいびつに作られている。抽象画のような背景模様は、「ゆがみ」が強調され
ている。物語の進行だけではなく、人物の背景にあるものが、恐怖を表す。そ
のゆがんだ背景に、溶け込んだかのように映るカリガリ博士。画面すべてが、
恐怖の表現となっている。それは物語世界の表現であると同時に、観客の心の
投影である。
戦争に疲れ、「精神」の不確かさに注目が集まった時代背景によく合ったこと
は、今を生きる私たちにも想像に難くない。

そんな時代の産物だけでは、もちろんなくて、今見てもじゅうぶん怖い。CG技
術の発達でリアルな映像から恐怖を生みだす事例に慣れていると、人工的にゆ
がめられた背景からただよう気配は、いっそう気味の悪さを増し、新鮮だ。恐
怖映画の原点を超えて、人の恐怖そのものの原点を見る思いでもある。

さらに付け加えるなら、芸術運動と深く関わり合ったことで、芸術としての映
画の道筋も作ったのではないかと思う。動く写真として見世物だった映画が、
美しさ(美しいまでの怖さ、なんかも含めて)や芸術性を獲得していった源流
にある作品だろう。

最後にどんでん返しもあり。85年経った今も、決して色あせぬエンタテインメ
ントであり、総合芸術作品でもある。
夏の終わりに、背筋が“つつり”と冷たくなる一品をどうぞ。

■COLUMN
「戦争に疲れ、『精神』の不確かさに注目が集まった時代」。現代を表現した
と言っても、通じるだろう。20世紀初頭から、世はちっとも変わっていないの
だろうか。

人の心が、自分が思っているほど確かではなく、時に恐怖を生みだしもする。
その意識は、たとえば大きな災害や事故の後に被災者に「心のケア」を、と叫
ばれる良例に表れ、別の場合には、精神を病んだ人への差別という悪例を引き
おこす。
だから、人間の精神が案外、人間自身にはつかみとれない、ということ自体よ
り、ほんとうに怖いのは、つかみとれないことをいたずらに怖がって人を傷つ
けることなのだ。怖さとスリルを楽しむのは、映画の世界でとどめておくのが、
いい。

ところで、私が最初にこの作品を見たときには、確か、字幕(翻訳の字幕では
ない。サイレント映画なので、物語の展開や台詞を説明するオリジナル字幕)
がドイツ語で、その字体もどこか不安定で恐怖を感じさせるようなものだった。
背景だけではなくて、字体にも凝った、「表現主義集大成なのだなー」と感心
したもの。しかし、その後名画座で見た時も、今回借りてきたビデオでも、オ
リジナル字幕は英語で、ふつうのタイピングのようなどうってことない字体だっ
た。

人の記憶はあいまいなもの。映画全体の気味悪さが、字幕をもそう見せたのか、
カリガリ博士の毒にやられて記憶がねじまげられたか。ほんとうに私はそんな
字幕で見たのかどうか、今では自信がなくなってきた。

私の記憶が幻ではなかったと確かめるためにも、ドイツ語版の行方を知ってい
る方がいらっしゃったら、ぜひお知らせ下さい。そういえばDVDはまだ確かめて
いないな。


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転載には許可が必要です。

編集・発行:あんどうちよ

Copyright(C)2004 Chiyo ANDO

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2004.9.13 原題と英語題を追加

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