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欧 州 映 画 紀 行
                 No.202   09.04.03配信
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「ここじゃない何処か」に行ってしまいたい、あなたのための映画案内。
週末は、ビデオ鑑賞でヨーロッパに逃避旅行しませんか?
フランス映画を中心に、おすすめの欧州映画をご紹介いたします。

★ タイプじゃないんだけどね。ほんとは。 ★

作品はこちら
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タイトル:『汚れた血』
製作:フランス/1986年
原題:Mauvais sang 英語題:The Night Is Young

監督:レオス・カラックス(Leos Carax)
出演:ドニ・ラヴァン、ジュリエット・ビノシュ、
   ミシェル・ピッコリ、ジュリー・デルピー
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■STORY&COMMENT
20世紀末のパリ。父が死んで身寄りのなくなったアレックスは、倦怠感とやり
直したい気持ちとが交錯し、いらついていた。父の仲間のマルクが金に困り、
父以上の金庫破りの腕をもつアレックスに目をつけた。
「愛のないセックス」で伝染する病「STBO」が流行し、新薬開発が待たれる折、
たった1社ウィルスの分離に成功した製薬会社があった。そこからウィルスを
盗み出して横流ししようというのだ。
アレックスは、計画よりもマルクの若い情婦アンナに惹かれて仲間に加わるこ
とになる。

私は、脚本とか物語の構造がまず気になる方で、「演劇的」と揶揄されるよう
な言葉ばかりで構成されるような映画が好きだ。映像としては、あんまりアッ
プを多用されるのは苦手で、固定されたフレームにリアルに人の所作が見える
のがいい。
この作品ときたら、不安になるほどのアップが特に冒頭にたくさん使われ(そ
れは、主人公アレックスの抱く不安といらいらを感じさせてくれるんだけれど)、
物語は、フィルム・ノワールの焼き直しのようなもの。

ことごとく「タイプ」から外れているんだけれど、そういうことはどうでもい
いと思わせる力強さがあって、なーんだか惹きつけられてしまう。
若きジュリエット・ビノシュ演ずるアンナの、思わずつばを飲み込んでしまう
ような真っ赤なセーター、別のシーンには、闇のなかに映える真っ青なガウン。
色遣いだけでも、そのシーンのその画を観られてよかった、と思う。強引な惹
きつけ方そのものが魅力で、目が離せない。

どういう話とか、ストーリーがどこへいくのか、とか、どっちでもよくなって
しまう。

脚本の流れとか組み立てなどを、私はふだん気にする。けれど、この映画では、
瞬間的に、「うっ」とくるセリフにやられて、その瞬間の美があれば、それで
いいか、と思わされてしまう。

例えば、「疾走する愛」。
この映画で最も有名なシーンに、デヴィッド・ボウイの「モダン・ラブ」を背
景に、アレックスが疾走するというのがある。ラストにも、アンナが疾走(と
は言えない感じの走りだけれど)するシーンがあって、走ることはここでの重
要なモチーフだ。
そんなこの作品で、アレックスがアンナに言う「疾走する愛を信じる?」とい
うセリフはいつまでも頭に残るだろうと思う。

「疾走する愛」って、わかるような気もするけれど、なんのことだかよくわか
らなくて、でもなんかかっこいいから、いつか「これこそ疾走する愛だ」て思っ
たときに使おう、と思う。

原題の Mauvais sang は、ランボーの詩の題名からとったという。
うちにあった小林秀雄訳では「悪胤」と訳されていた。自分に流れる血を呪い、
若いいらいらを募らせている詩だった(かなり乱暴なまとめ方です)。

ランボーが死んだ年をそろそろ越えようかという私は、アレックスやアンナ、
アレックスに捨てられるリーズの若さはもうないな、と思う。
夜中に町を疾走すること、シェービングクリームをかけ合って遊ぶこと、今日
寝るところをその場で決めること、バイクでひたすら追いかけること。疾走す
る愛を思うこと。

全然「タイプ」じゃないのについつい気になって、いつもと違う自分の憧れに
さえ気づかされる。私にとっては、好きというより「不思議な」作品だ。

■COLUMN
86年に製作されたこの映画の舞台は、20世紀末のパリ=近未来という設定になっ
ている。20世紀末は、現在の私たちにとって、とっくに近過去になっているわ
けだけど、だからといって、私たちはこれを近過去と捉えるわけじゃない。
近未来は、時が経っても永遠に近未来だ。

もちろん、その物語にもよることだけれど、「近未来」という設定は、実際に
時間が進んだところではなく、過去にはなく今にもなく、しかし今生きている
私たちがごっそりそこに存在しているかもしれないある世界を意味する設定だ
と思う。
そういう意味では時間が進んだのではなく、時間がちょっとねじれたところ。

「近未来」の世界には、何かしら不安な要素があって、もしかしたら私たちが
陥ってしまう少し怖い世界、と表されることもある。
携帯電話なんてないどころか、受話器にコードがついていて、必死でコードを
ひっぱるこの作品の近未来では、不思議な病が人を脅かし、ハレー彗星の影響
で夜が異常に暑く、その割には別のところには雪が降る異常気象が起こる。

ハレー彗星、滅びを予感させる病、ほとんど通行人のいない暗い町、これらは、
よく考えてみると「世紀末」的な世界でもある。
80年代には、「世紀末」と「近未来」が一致していて、強力なタッグを組んで
独特の世界を作ることが可能だった。
しかし今は、近未来に世紀末はなく、世紀末といえば、ちょっとなつかしいほ
のぼのささえ湛える始末。

世紀末=近未来というアイテムを失った21世紀初頭の物語は、何か新たな道具
を作り出さなきゃならない。なきゃならんってことはないかもしれないが、やっ
ぱり新しい何かは作り出したいし、きっと物語の作り手は新しい何かを探すだ
ろう。どんなものが出てくるのか、定番の手法として後世にも引き継がれるも
のがあるのか。とっても楽しみだ。


■INFORMATION
★DVD
汚れた血
価格:¥ 1,974(定価:¥ 2,625)
http://www.amazon.co.jp/dp/B000OIOL8A/ref=nosim/?tag=oushueiga-22

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編集・発行:あんどうちよ

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