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欧 州 映 画 紀 行
                 No.212   09.07.09配信
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「ここじゃない何処か」に行ってしまいたい、あなたのための映画案内。
週末は、ビデオ鑑賞でヨーロッパに逃避旅行しませんか?
フランス映画を中心に、おすすめの欧州映画をご紹介いたします。

★ 見えないものを信じることとは ★

作品はこちら
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タイトル:『永遠のこどもたち』
製作:スペイン・メキシコ/2007年
原題:El orfanato 英語題:The Orphanage

監督:J・A・バヨナ(Juan Antonio Bayona)
出演:ベレン・ルエダ、フェルナンド・カヨ、ロジェール・プリンセプ、
   ジェラルディン・チャップリン
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■STORY&COMMENT
孤児院で育ち、里親に引き取られたラウラは、現在は結婚し息子が一人。閉鎖
されていたその孤児院を買い取り、障害を持つ子どもの施設にするため準備を
進めている。空想上の「友だち」と遊ぶ息子シモンが心配だが、順調な毎日だ。
しかし開園パーティの途中、シモンが突然姿を消してしまう。シモンを捜索す
るなかで、過去に封じられた秘密が明らかになっていく……。
『パンズ・ラビリンス』のギレルモ・デル・トロ製作。

ホラーとかミステリーとか、スピリチュアルとかミステリアスホラーとか、い
ろんなうたい文句があって、どんな話なのか、なんだか想像がつかずに観たら、
まあ確かに、そういう要素が全部からんでいる話だった。
でも、怖いシーンやびっくりするシーンはあるけれど、「ホラー」ではないと
思う。ホラーっぽい雰囲気は全体に満ちてるけれども。

要素が大きく二つあって、一つは、幽霊なのか生き霊なのか精霊なのか、目に
見えない何かの存在があること。そしてもう一つは、現実としてシモンがいな
くなるという事件が起こること。

前者の話は、たとえば、空想癖のあるシモンが、現実にいる友だちであるかの
ように、大人には見えない「友だち」のことや、その影響で、シモンがいなく
なった後のラウラも、見えない何かに動かされているような気持ちになって、
実際に不思議な体験をいくつもすることなど。シモンが何ヶ月経っても見つか
らず、霊媒師に依頼するところもそれだ。
後者の話は、現実問題としてシモンはどこへ行ってしまったのか、ということ
で、「ジャンル」で分ければこれが「ミステリー」の要素になる。

ラウラは、母として息子の感覚に同化していくように、シモンの「友だち」を
感じとるようになって、シモンはきっとその「友だち」に連れ去られたに違い
ないと思い始め、霊媒師を呼んできて、夫と対立する。

「霊」モノ(?)が好きな人にとっては、特に問題ないのだろうけれど、私は、
「霊」とか「見えちゃう」とかいった「ネタ」があまり好きな方ではないので、
この辺りで、これで霊媒で事件解決とか、そういうことになったらどうしよう
かと、着地点を心配してしまった。だが、平行線であるかのように見えた、
「霊」の要素と「ミステリー」な要素が、最後にすっと結ばれ、そこでドラマ
としての高揚感が最高潮に達して、一種のカタルシスを迎えるという、うまい
ストーリー運びだった。ラストでは細かい整合性は気にならなくなってしまう。

そんなわけで、謎解き要素もあるから、あまり詳しくは語らないけれど、DVDな
ら、全部わかってから、前の場面を復習できるという楽しみ方ができる。そん
な観方もおすすめな作品だ。

■COLUMN
上に書いたように、私は「霊」関連はほとんど信じない。ラウラの夫のように、
霊媒師一行がいれば「人の弱みにつけこむ奴ら」と言うタイプだと思う。

じゃあ、目に見えないものは信じないかというと、そうじゃない。
人の怨念が、「怨」じゃなくても、人の強い思いが、現実の何かに作用するこ
とは、あっさり信じてたりする。

だから、「霊媒師」なんて怪しいと思いながら、霊媒師がラウラに言う「あま
りに大きい悲しみは、その場所に傷を残していくんだ」ということに対しては、
「ああそういうことならわかる気がする」と思う。案外簡単にだまされるタイ
プかもしれない。

たとえば過去に悲しい事件の起きた歴史的スポットに行き、その場所でそこで
流された血を見、上げられた悲鳴を聞くように感じることは、おかしなことじゃ
ない。大きな悲しみがその場所に傷を残しているから、その場所でその思いを
受け取ることができる。そんなことはあるわけはなく、非科学的なのだけれど、
それを信じる想像力は、人間の大切なものだと思う。

まあ、だますだまされるの話はおいといて、この「信じる」と「信じない」の
違いってなんだろうと思うと、見えないものを見えないままに信じるか、見え
ないものを見えると言い張るか、じゃないだろうか。

悲しい事実の現場でこそ、その事件に思いを馳せられることはあっても、そこ
で写真を撮ると何かが写るとか、ビデオを回したら悲鳴が入っていただとか、
そういう話になると、人の尊い想像力も踏みつけにすることでさえあると感じ
る。

誰かを思いやったり応援したりするのも「人の思いが現実の何かに作用する」
と想像すること。それは妄想でしかないのだけれど、そう信じることは益のな
いことじゃない。
「明日は大事な試験だ、試合だ」「今は仕事が大変らしい」そんな肉親や友人
や家族や恋人を思いやって、うまくやれよと、くじけるなと、遠くから祈るこ
とは、確かに本当のところ現実を変えたりはしないだろう。
だけれど、相手に電話したりメールしたり会って話したりして、かけた言葉の
分しか影響しないのだと、思いたくはない。遠くから思いを馳せることが、思
いを飛ばすことが、あの人の力になりますようにと、信じて祈ることは、やっ
ぱり人間の大切なものだと思う。

そこんところを、「ほら、私が念を送ったことにより、このように波長が……」
なんてやられはじめると、そりゃ違うと思う。
思いの力を信じることは、そんな「証明」をしてもらわなくても、言うまでも
なく、大事で有力なものなんだ。そういう結論が合ってるかな。

■INFORMATION
★DVD
『永遠のこどもたち』¥3,161
http://bit.ly/3qW1St
短いURLにしていますが、Amazonの該当商品ページにリンクしています。

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編集・発行:あんどうちよ

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