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欧 州 映 画 紀 行
                 No.225   09.12.13配信
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フランス映画を中心に、おすすめの欧州映画をご紹介いたします。

★ 起こり得たすべての可能性に敬意を払って ★

作品はこちら
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タイトル:『偶然』
製作:ポーランド/1982年
原題:Przypadek 英語題:Blind Chance

監督:クシシュトフ・キェシロフスキ(Krzysztof Kieslowski)
出演:ボグスワフ・リンダ、タデウシュ・ウォムニッキ、Z・ザパシェビッチ
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■STORY&COMMENT
医師を目指す学生ヴィテクは、父が死の直前に「もう医者にならなくていい」
と言いのこしたことに衝撃を受け、進むべき道がわからなくなっている。
そんな折に、ヴィテクは急いでワルシャワへ向かう…… ワルシャワに向かう
列車に飛び乗ろうとして、「列車に乗れた場合」「警備員にとめられた場合」
「乗り損なった場合」から、まったく違う人生になる、3つの物語が描かれる。

以前紹介した『ラン・ローラ・ラン』などは、この映画が下敷きになっている
のだろう。ある分岐点から枝分かれして、全然別の結末にたどり着くという構
成だ。
ワルシャワ行きの列車に乗ろうとするシーンからはじまる3つの物語は、それぞ
れ別の目的でヴィテクがパリ行きの飛行機に乗ろうとするシーンを結末とする。
別の人生を歩んでいた場合には出会って親密になった人々が、通りすがりの人
として空港に姿を現す遊び(皮肉?)がおもしろい。

列車に乗れた場合には、共産党に入党し、警備員に静止された場合には、地下
組織に、乗り損なったら休学を撤回してまた医師の道を歩む。いずれの人生に
おいても、ヴィテクには、「父の不在」がのしかかり、枝分かれした人生にお
ける「父のような存在」たる人との関係が、その人生を左右することになる。
どの人生がいちばんいいのか。それを考えてこの作品を観ると、辛い鑑賞とな
りそうだ。

この作品の本質とはずれるのだけれど、私はこれを観ながら、可能性の無限さ
と、現実の貴重さというのを強く思った。

現実に、列車に乗るか乗らないかで、その先がまったく別のものになるほどの
転機というのは存在しないかもしれない。
しかし、可能性としては、あんなこと、こんなこと、今の人生からかけ離れて
いるようなことも、絶対に起こらなかったとは言い切れない。

今、私の人生に起こっている全てのことは、そうしたいくつもの可能性がすべ
てなくなって、たった一つ現実として「自分の人生」たり得ているもの。
ひょっとしたら出会ったかもしれない人、愛したかもしれない人、あるいは仕
事になったかもしれないもの、もしかしたら大事な趣味になったかもしれない
こと、等々いろいろな可能性を潰して潰して反故にして、今がある。

現実にはならなかったけれど、あるいは起こったかもしれない、すべての可能
性に敬意を払うなら、今あるこの現実の人生を、意地でも大事にしないといけ
ないなあ、と思うんだ。

■COLUMN
上のようなこと(すべての可能性に敬意を払って現実を生きなくっちゃ)を考
えたのは、私の仕事からの連想だ。

私はいろいろな文章を書くことを仕事にしているのだが、自分の名前を出して
書くような作家さんではないので、どんな仕事をするにしても、そもそも私が
書くという必然性がない。
もちろん、書いてと依頼してくれる人は、ある程度「私」を信用して頼んでく
れるわけだけど、日程が合わなかったら断るしかなくって、その場合は誰か他
の人が書く。誰が書いても、一定の水準が保たれていれば問題ない。

文章を書いていると、それがどんな内容でも、ある程度そのなかにのめり込む
ものだ。一生懸命書くし、一生懸命よりよくしようと思う。そうしてのめり込
んでいると、何が起こるかって、今かかえてるその原稿がどんどん「絶対的」
なものに思えてくるのだ。書き上げて、読み直して、推敲して、とやっている
うちに、最もできた形のような気がしてくるのだ。

しかし、実際は全然そうではなくて、その形になるまでには、入れたかったけ
れど字数の関係や論点がわかりにくくなるからと、どっちを残そうかな、と迷っ
てバッサリ切った内容もあり、紹介するエピソードは、そのエピソード自体の
大切さ・面白さよりも、他のページの記事と重ならないように選択することも
ある。
書いていくうちに決して必然ではない無数の選択をして、いくつもの分岐点で
何らかの選択をして、“たまたま”その形になっているだけだ。
前述のように、そもそも私が書く必然性がないのだから、他の人が書いたなら
ば、ということも考慮すればさらに、無数の可能性が追加される。

ものを作り上げることは、無数にあった数々の可能性を潰して潰して1つに絞
ることだ。どこかで道をそれて、もっと素敵な可能性から遠ざかったかもしれ
ない。そんな素敵な何かを退けて、結果を1つ世に送り出す。

何かを書くときには、いつも、退けた無数の可能性の成仏を願って、私がたど
り着くことのできなかった結果に敬意を払わないといけない、と思っている。
そして、それは、きっと人生全体でも同じことなんだろな。
あり得なかったことに思いを馳せるのは難しい。だけれど、それをたまには思
いださないと、今あるこの現実に責任を持てないかな、と思う。


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